2014年6月1日 主日礼拝

創世記 4章26節
國分広士牧師

1.「祈り」とは

他の宗教でも祈りはある。宗教が異なっても、自分の限界を超えた願いを、自分より力ある存在に頼り求める謙虚な姿やへりくだった心の姿勢という点には、共通性を感じる。しかし、だからといって「同じだ」とみなすのは早計。真に大切なのは、誰に祈るのかということ。

2.「主に祈る」とは

主アダムの子セツの子エノシュが生まれた時、 三代目の時代から主の御名によって祈ることを始めた。エデンの園の近くで暮らしていた時には、神に語りかける時にはエデンの入口で呼びかけたが、しだいに離れた所にも暮らすようになる。またカインの経験から、神はどこにいても見ておられる事も知ったので、その場で神に呼びかけたいと願うことから、現在のような「祈り」という神への呼びかけ方が始まったのだろう。

3.「主の御名によって祈る」とは

名前は相手の人格を表す。「主」はおそらく「ヤーウェ」と発音したのだろうが、みだりにとなえないようにと、あえて「アドナイ(主人)」と言っているうちに、正確な呼び方を忘れてしまった。しかし私たちは、正確に相手を特定できる名前を知っている。それは「イエス様」。だからイエス様の名前によって祈る。