2014年5月25日 主日礼拝

ヨハネの福音書 8章1~11節
國分広士牧師

1.イエスをためす(1-6)

パリサイ人らが意見を求めたのは、もし「ゆるせ」と言えば律法違反と告発する意図からだった。もし「殺せ」と言うなら、「愛がない」と人々を失望させるのでそれも良いという計算。しかし律法には「姦通した男も女も必ず殺されなければならない。」(レビ20:10)とあり、女だけを連れて来たのは不自然。真に律法を遵守する姿勢とは異なる。

2.女はそこにいた(7-9)

主イエスの「罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われたのは、最初に証人が石を投げよという律法の教えから。律法をよく知る年長者たちから、自分には罪を責められないと悟りその場を去る。ところが女はこの機会に姿をくらまさずにそこにとどまった。主は石を投げうる罪なき人だったが、女は主の裁きは受ける覚悟があった。

3.わたしもあなたを罪に定めない(10-11)

主は「決して罪を犯してはなりません」と語られたように、罪をいいかげんには扱わない。主の前に罪を認め、自分の身をゆだねる彼女の罪は、主ご自身が代わりに背負って十字架で死ぬというご計画のゆえに、それを先取りして赦すのである。私たちも主のさばきが真実で愛にみちたものであることを信じ、自分の身を委ねよう。