2014年4月20日 主日礼拝

ヨハネの福音書 20章1~31節
國分広士牧師

1.空になった墓

キリスト教と他の宗教との決定的な違いは、復活の主を信じることにある。主イエスは確かに死なれ、また復活された。墓が空になり傷跡も残っていたのだから、死んだ体が生き返ったのだ。これによって、主はいのちを支配する方であることが証明された。私たちが信じる「永遠の命」とは「からだのよみがえり」なのである。

2.復活した主にお会いした弟子達

復活した主は、それ以前と異なる面も見せられた。しっかり戸が閉じられた室内にも急に現れ、また忽然といなくなる。「世の終わりまであなたがたとともにいる」(マタイ28:20)と言われていたように、姿を見せようと思えば見せられるが、見えなくても「いない」のではなく、実はともにいて下さる。

3.傷のあと

復活を簡単には信じられないのが常識的な人間。「釘あとに指を差し入れてみなければ」というトマスの疑い深さには、共感も感じる。その彼が主イエスを「私の主。私の神。」と呼んだ。ユダヤ人が「神」と呼ぶのは創造主だけ。トマスはいのちを支配する主イエスこそ、創造主だと認めたのである。疑った分、信仰も明確になった。私たちも主イエスを確かに自分の神と告白し、今も生きておられる主により頼む者になりたい。