2014年1月19日 主日礼拝

創世記 1章6~25節
國分広士牧師

1.名づけられた(5-10)

神はご自分の造ったものに、それぞれの名をつけられた。名前は「区別」を表す。これとそれは違うものなのだと神は思っておられる。それぞれが異なる意味を持つ別々の存在なのだと。神は存在ひとつひとつに心を注がれる方なのである。

2.種類に従って(11-25)

区別はさらに細かい部分にも及ぶ。たくさんの植物や動物を造られたが、それぞれが「種類にしたがって」と言われている(11-12,21,24-25)。その種類は膨大。現存する動物類だけで100万種類ある。絶滅種や植物もあわせればはるかに多い。生物は放置しておけばひとりでに新種が発生するようなイメージを持ちやすいが、種類は神の意志によって意図的にたくさんに造られたと聖書は教える。目立たないような生き物が実は重要な役割を果たしている。そうやって生命全体で調和のとれた地球環境を形成するようにという意図をもって、神は数多くの種類を造られた。特定のものだけではなく、神の造られた全体に意図がある。私たち自身の存在にも意味がある。

3.それを見て良しとされた

神は評価される。最終的に人間を迎える準備を一つ一つ整えチェックしておられるように感じる。神に「良し」とされるのは幸い。存在は個々の価値だけでなく、互いに役立つように配置されてこそ「良し」と言える。居るべき場所にいてやるべき事をやれるように、神に自分自身を造られた目的を尋ねよう。へりくだって、与えられた生を喜んで生きよう。