2014年1月12日 主日礼拝

創世記 1章1~5節
國分広士牧師

1.仰せられた

神が仰せられると光があった。神がことばを発する前は「何もなかった」。神のことばですべては始まる。だからこそ、私たちはみことばを求めるのである。もしも神が「拉致被害者を解放せよ」と命じれば、ただちに拉致問題も解決する。こんなに偉大な方に私たちは親しく祈り求めているのである。日々、神のことばを求めよう。

2.良しとされた

神は評価される。良いか悪いかを決めるのは神。神こそ絶対的に信頼できる基準。絶対的な基準がなければ相対的にしか計れない。重力のようなのもの。宇宙船の中では無重力なので、上下の基準がない。たまたま自分がいる位置から見ての方向しかないし、その自分も宇宙船の壁がなければ、フワフワどこかへ行ってしまう。重力で縛られているから私たちは安定していられる。基準である神のお考えを良く知ろう。

3.区別された

区別は聖書の中で重要な概念。例えば「聖」という言葉があるが、これは「俗」とは区別されるということ。光とやみを区別することは、神の基本的な姿勢の表れと言える。神は光と闇を区別された。明るくても暗くても良いのではない。神が良しとされたのは光であって闇ではない。神は光を求めて来るようにと招いておられるのだ。私達も闇から光へと移される事を求めよう。