2014年1月5日 主日礼拝

創世記 1章1節
國分広士牧師

1.初め

「初め」とは原点。聖書は原点から語る。反省するときには「原点に返る」ことが大切。新しい歩みを願うなら、原点に立ち返り、本来の姿を確認しよう。では原点とは何なのだろうか?自分の人生の初めを考えると、親の人生があったことを無視できない。親にもその親がおり、先祖の歩みが自分を形成する基盤になっている。どこまでたどれば原点と言えるのだろうか?

2.神

聖書は原点に神がおられると教える。科学はビッグバンから宇宙が始まったと考えるが、そのビッグバンは無から生じたと考えられている。科学の示す原点は無。神が創造する前には世界はなかったという点では一致するが、人間の知恵にすぎない科学は世界を創造した神を見いだせないでいる。これは人間の知恵の限界を示しているのであり、科学が確認できないものは存在しないという態度は傲慢。申命記29:29のように、隠されていることもあることをわきまえ、表された事に傾注する姿勢を持ちたい。

3.創造

聖書は神の創造によって私たちが存在するようになったと教える。誰が神の創造を目撃したのか?もちろん神自身しか知らないことである。最初の人間アダムは神から創造のみわざを聞いたことだろう。その知識は子孫に語り伝えられたはずだが、伝承は不信仰な人間によって変質もする。モーセが神と親しく交わり教えられ書き記することで正確な知識が与えられた。創造者しか知りえない事実を伝える事で、神は「私があなたを創造したのだ」と語りかける。自分を計画的に造った方が、今も自分に語りかけておられることに感謝し、そのことばである聖書を積極的に読もう。