2013年12月15日 主日礼拝

ルカの福音書 1章26~38節
國分広士牧師

1.みことばを求める

マリヤへの受胎告知は、ザカリヤへの受胎告知のケースと似ているが、告知を受け止める姿勢が異なる。ザカリヤは「何によって(18)」としるしを求めたがマリヤは「どうして」と説明を求めた。すなわち彼女は更にみことばを求めたのだ。みことばが分からない時、しるしではなく更にみことばを求める姿勢を私たちも持とう。

2.みことばを理解する

マリヤは処女降誕という前代未聞の経験をしようとしている。生命の仕組みについて解明が進む現代科学でも、処女による男子出生は説明不可能。しかしみ使いは「聖霊による」と説明した。造り主である神には不可能はない。いのちを造られた方はマリヤの胎に直接子を宿らせる事もできる。親類エリサベツの妊娠も神の力の偉大さを信じる助けになる。

3.みことばにゆだねる

マリヤはみことばを受け、自分に与えられた使命を理解する。しかし理解したからこそ、その使命を受け入れるか拒絶するかの、彼女の意思も明確になる。「責任が重大すぎて私には無理です」とか「婚約者のヨセフに迷惑をかけてしまう」と言う可能性も出てくる。その上で「あなたのおことばどおり、この身に」と応答したのは、主のことばに委ねる姿勢を示している。私たちも主のことばを信じられない弱さがあるなら、さらにみことばを求め、理解を深め、ゆだねることができる信仰をいただこう。