2013年12月22日 主日礼拝

ルカの福音書 1章39~56節
國分広士牧師

1.卑しいはしため

マリヤは「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった」とエリサベツに評価された。どうして信じきることができたのか?第一に彼女は自分を「卑しい」と認めていた。へりくだっている者は、相手のことばを受け入れる。高ぶる者は自分の考えとあわないことばは拒絶する。

2.主のあわれみ

マリヤは「主のあわれみ」を感謝している。「人のあわれみ」と「主のあわれみ」は異なる。人は愛が足りないので「あわれみ」と「さげすみ」とが混同しやすいが、主は人の心の奥底まで理解し受け入れてあわれむ。本当に困っている人は、さげすまれたとは思わず、あわれみを感謝する。自分の罪深さを認め、自分では自分の罪を解決できなくて困っている者は、主があわれんでくださることを、すなおに感謝するのだ。

3.主の助け

主のあわれみは、具体的な助けとして現れる。最大かつ完全な助けは救い主イエス様を世に下さったこと。マリヤは自分の胎に自分の救い主が宿ることを信じた。主は卑しいはしための自分をあわれみ、共におられるとわかったから、励まされて「信じきる」ことができたのだ。マリヤが胎に宿したように、主を信じる者の心に主は住んでくださる。主がともにおられるとわかるなら、私たちも「信じきる」ことができるだろう。ともに居て下さる主をたたえよう。