2013年9月15日 主日礼拝
1.慰めの場
ラザロは悲惨な人生を送ってきた。現代にも悲惨な人生を送る人は多いが、社会から忘れられる傾向にある。しかし、その存在はちゃんと神に覚えられていた。彼は御使いによって「アブラハムのふところ」に連れて行かれる。苦しみの人生をおくったラザロが慰めの場に連れて行かれたことに注目しよう。神は真実な方であり、人の生き方に報いる方なのだ。
2.苦しみの場
一方、人生を謳歌した金持ちは死んで苦しみの場に。彼は助けようと思えば助けられたラザロを無視した。しかし一方、肉親の兄弟への愛はあるので、ごく普通の人間で、まさか自分が地獄に行くとは思わなかったかもしれない。自分は地獄に行くほど悪い人間ではないという自己評価は、あてにならない。神にどう評価されるかが問題。その神の基準は、聖書に記されている。
3.モーセと預言者
聖書のこと。聖書は神のことば。人間がいくら考えても研究しても、神のことは神自身のことばによってしかわからない。誰かが死人の中から生き返って、死後の世界のことを教えても、私たちは信じがたい。あそれより神の言葉である聖書を学ぼう。そして苦しみの場ではなく、慰めの場に連れて行っていただきたい。実はそれが一番、ご先祖様にも喜ばれる道なのだ。