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2025年4月27日 主日礼拝
序
- イエス・キリストに対して好意的に感じる人は多いが、はっきり信じる人は限られる。
- 信じられない人は奇跡、特にイエスの復活を事実と思えないでいる。しかし、パウロは復活を「最も大切なこと」と教えているので、「そこは抜きで」とは言えない。キリスト者が最も大切なことをどう信じるのかを学ぼう。
1.「聖書に書いてあるとおりに」
- 十字架と復活の教えは、後付けではない。主イエスをキリスト(救い主)と信じる信仰は、受難以前から。旧約聖書には神がキリストを与えるという約束があり、主イエスが生まれた時に、羊飼い・東方の博士達・シメオンが幼子イエスをキリストとして拝した。
- 主イエスの公生涯において、主イエスを信じ従う人々は、イエスをキリストだと信じていた。マルタは兄弟ラザロを主イエスが生き返らせる前に「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」(ヨハネ11:27)と告白した。
- 主イエス自身が受難と復活を弟子達に予告していた。それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。(マルコ8:31)
2.「私たちの罪のために死なれた」
- キリストが罪のために死ぬ預言は旧約聖書イザヤ53章が有名。
- 彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。(5)
- 彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。(10)
- 主イエスの死は確実。蘇生の可能性はない。ヨハネ20:33-34には、兵士が検死し、念の為脇腹を槍で突き刺して、血と水が流れ出たと記されている。
- 確かに死んだからこそ、罪の贖いが有効になる。死んでなければ罪の贖いは無効になる。
3.「三日目によみがえられた」
- 使徒ペテロはイエスの復活預言として詩篇16篇を引用した。
- あなたは 私のたましいをよみに捨て置かず
- あなたにある敬虔な者に 滅びをお見せにならないからです。(詩篇16:10)
- よみがえったイエスに弟子達は再会した。
- ・マグダラのマリア(ヨハネ20:10-18)
- ・女たち(マタイ28:1-10)
- ・エマオの途上の二人の弟子(ルカ24:13-32)
- ・11弟子と信者たち(ルカ24:33-34)
- ・トマス以外の使徒10人と信者(ヨハネ20:19-23)
- ・トマスと他の使徒(ヨハネ20:26-30)
- ・弟子たち7人(ヨハネ21:1-14)
- ・弟子たちと信者たち(マタイ28:16-20)
- ・昇天前、弟子たちと(ルカ24:50-52, 使徒1:4-9)
- イエスの遺体を弟子が盗んだという説があるが、マタイ28章11-15節には、その説は祭司長達が番兵を買収して流させた。番兵が眠っていて遺体を盗まれたなら重大な職務怠慢なので、買収されなければ「天使にやられた」と不可抗力を訴えたはず。
- イエスの復活を弟子達は命懸けで伝えた。嘘なら命をかけることはできない。
結
- パウロは「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。…もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。」(15:17、19)
- とも語っている。最も大切なことがない信仰なら、信じる意味はない。真にキリストが復活して、今も生きていて、私たちを救ってくださることを信じよう。
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