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2024年4月14日 主日礼拝
序
- 主は力強く自己主張されている。私たちは自己主張の強い者を嫌いやすい。なぜ主は自己主張なさるのか?主はご自分を何者だと言われるのか?その内容をよく学び考えよう。
1.「あなたを造り、あなたを助ける」
- 主は全ての造り主である。私たち個々を母の胎内にいるときから形造られた。ということは、計画的に、一人一人を造られたということ。私たちには主の計画がある。
- また「助ける」というのは、造りっぱなしで放置しているのではなく、積極的に私たちの人生に関与してくださるということ。
- だからこそ、主は「わたしのしもべ」「わたしの選んだイスラエル」に、ご自分に聞き従う様にと自己主張される。
2.「あなたの子孫に祝福を注ぐ」
- 私たちは自分の人生だけではなく、子孫の繁栄を願う。しかし、実際には、負の遺産を残しつつある。
- 子孫に真の祝福をもたらすのは、子孫の時代にも生きておられる方。主は「あなたの末裔に祝福を注ぐ」と言われる。その結果、子孫のある者は「私は主のもの」と言う。確かな信仰が受け継がれるということ。
- 子孫の祝福を願うなら、自分に願う様にと主は自己主張されている。
3.「わたしのほかに神はいない」
- 9-20節に、人間の作った神の虚しさが語られている。人間は神を求める思いを心に植えつけられている。また、神から受け継いだ性質として、何かを創造したい。しかし、自分以上の存在を造ることはできないのだから、神を造ろうとするのは誤り。
- 人間を造った神にとって、ご自分以外のものを神とするのは侮辱。今日、本人を偽る情報が氾濫しているが、自分ではないものを自分と言われるのは苦痛。
- 偽りの神を信じても、救いはない。木材の一部を神としても、人間の造った神は、燃やして灰になったものと本質的には変わらない。
4.「あなたがたはわたしの証人」
- 主は「初め」であり「終わり」である。造り、救い、裁く。
- この真理を信じた者は、「主の証人」。造り主、救い主、裁き主を伝えなくてはならない。
結
- 主の自己主張は正当である。迷いやすい私たちに救いを知らせるために叫んでおられる。
- 救いを信じた私たちは、救いを証ししよう。
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