2024年4月7日 主日礼拝
序 主ご自身の切々とした思いが表現されている。主のお心を学ぼう。
1.「わたしがあなたを贖ったからだ」
- 主は創造者。私たちを造った方。「創造」とは、無計画に作り、意図しないものができてしまったという言葉ではない。計画的に作り、「非常に良かった」(創1:31)。
- しかし造られた人間は造り主に逆らったしまった。だが主はその罪を贖ってくださった。
- だから二重の意味で「あなたは、わたしのもの」と、主は思っておられる。
2.「わたしは、あなたとともにいる」
- 主は、いつも私たち一人一人に注目している。「わたしはあなたの名を呼んだ」とある。誰もが自分の名前を持っている。自分の名前も主に呼ばれている。
- 遠くから見るだけではない。どんな時も「あなたとともにいる」と言われる。
- ラザロが死んだ時(ヨハネ11章)、その姉妹はイエス様に「ここにいてくださったら」と嘆いたが、主はラザロが死ぬことも、生き返ることも計画しておられた。いないようで、実は彼らの人生とともにおられた。またラザロの死を思い涙も流された。(ヨハネ11:35)主の心は、彼らに共感しておられた。
3.「わたしの目には、あなたは高価で尊い」
- 7節には 「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。」とある。
- 造り主にとっては、一人一人に特別な意味がある。自分自身にも存在の意義がある。
- 存在意義を自分では自覚していなくても、主は「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と思っておられる。
結 私たちの価値は、主が認めておられる。人や自分の評価より、主の愛を信じよう。