2024年3月31日 主日礼拝(イースター礼拝)
序 主イエスの復活はキリスト教の根幹。これが事実でなければキリスト者は虚しい。
- (もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。コリント第一15:17)
- だからこそ、復活の記事が確かであるのか、自分で吟味し確認する必要がある。
1.イエスの墓は封印されて番をされていた
- 祭司長たちは番兵とともにイエスの墓に行き、墓に封印をした。番兵は「三日後によみがえる」とのイエスの予告の日が過ぎるまで、番をするはずだった。
- ※封印をしたのは安息日当日なので、安息日律法を超越した身勝手な行動。
2.イエスの墓は空になった
- 安息日が終わり、週の初めの日(日曜日)の夜明けに、女弟子たちが主イエスの墓に行った
- このとき、大きな地震が起きた。主の使いが墓を塞ぐ石をわきに転がしたという記述はマタイだけ。主の使いは女たちと番兵に目撃された。
- 番兵は命がけで守らなければならないのに、主の使いを恐れ、何もできなかった。彼らの恐れは、イエスの墓を開けたのが人間ではなかったことを物語っている。
- 主の使いは女たちに、墓の中が空なのを確認させた。女たちは帰路で主イエスご自身に再会し、ことばも交わした。
3.番兵は弟子たちに盗まれたと語った
- 番兵たちは、女たちが墓にいる間に、その場を逃げ出したようである。女たちが戻る前に都に戻って祭司長たちに報告している。よほど主の使いから逃げたかったのだろう。
- マルコ、ルカ、ヨハネでは、番兵の記述もない。墓に行った女たちは複数グループあったようだ。マグダラのマリアの名前は4福音書に記されている。彼女は墓に複数回行き、グループでも単独でも行動もしている。状況を整理すると、最初のグループが番兵がいる間に墓につき、み使いが墓石を動かす場面を目撃した。そして、兵士や第一グループの女たちが去った後に、第二のグループが墓にきて、すでに墓石がどかされ、墓が空になっているのを見たのだろう。み使いは第二グループの女たちにも会っている。
- マタイは番兵たち注目している。彼らは祭司長たちに報告した。なんと報告したのか?
- ここで興味深いのは、番兵たちが『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った』と人々に話したこと。もしもこの通りを祭司長に報告したのなら、彼らは番兵として失格であることを自ら認めている。ならば処罰・処刑されたはず。
- 番兵がこう語ったのは、買収され、総督にも口をきいてもらえたからというマタイの記述は信憑性が高い。しかも、祭司長たちがこう語らせたのは、彼らさえ、番兵たちの報告を頭から否定せず、不可抗力であったことを認めていることを示している。
結 主イエスの墓は空になった。それは事実。
なぜか?弟子が盗んだのか?復活したのか?
・弟子が盗んだという証言は信じがたい。
・復活したという証言の方が、証言としては信用できる。
・「復活などない」という思い込みが、証言を信じる障害。
・いのちを創造された方は、復活させることもできるはず。
結局は、造り主を信じるのかどうかという問題に戻ってくる。