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2023年1月1日 主日礼拝
1.主に感謝する(1節)
- 詩篇75篇には『「滅ぼすな」の調べで』という表題がついている。同じような表題は57篇、58篇、59篇にもついている。これらの詩篇には、さばきを主に委ねるという共通のテーマがあるので、「滅ぼすな」というのは、自分で復讐するなという意味なのだろう。
- 悪や悲しみがある時には、主に嘆く態度が自然だが、詩篇75篇は感謝に始まり賛美で終わる。嘆かわしい状況が改善したからというより、やがて完全な裁きが行われることを信じて感謝し賛美している。
- そう信じる根拠は、「みわざが語り告げられて」いる、すなわち神のことばである聖書の教えが根拠。
2.主が公正にさばく(2−5節)
- 2−5節は主のことば。主ご自身が裁きについて語っている。
(1)主がさばきの時を定めている。
(2)他の者ではなく、主ご自身がさばく。
(3)主は公正にさばく。不公平にではなく、誰もが納得するさばき。
(4)罪ですべての者が揺らぎ滅びそうな時に、さばきによって地を整える。
(5)誇る者をこらしめる。
3.神こそさばき主(6-8節)
- 6-8節は主をたたえる歌。人が栄誉を得るかどうかは神の意志による。神がある者を低くしある者を高くする。
- 主の手にある「杯」とは、神によるさばきのわざ。
「混ぜ合わされた泡立つぶどう酒」とは口当たりの良いカクテル。飲む時には心地よいが、悪酔いを招いたり毒酒であったりして、害になる。そのぶどう酒を悪者は率先して飲んでしまう。飲む時には口当たりがよく、自分が勝利を得たと高ぶる。しかし、罪人が勝ち取った栄誉は、はかなく、最後には、その栄誉があだになって苦々しい結果を招くことになる。
4.主を讃え主に従う(9-10節)
- 詩篇作者は、他の者からみことばを聞いて、主を信じた。今度は、自分が主をたたえ、主のみことばを告げると決意する。
- 角は権威。主のさばきを信じるので、悪者の権威は否定する。そこには戦いがある。さばきの時が来るまで、悪者は権威をふるい、自分の敵を攻撃する。悪者の角を恐れて彼の権威に屈するのか、主の勝利を信じ、善を持って悪に打ち勝つのかは、別れどころ。
- 「善を持って悪に打ち勝つ」ことについて記されている、ローマ12:16-21を読もう。そこには、「悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい」と勧められている。主のさばきを信じなければこれはできない。主イエスはこの教えを実践された。主に従おう。
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