2022年12月25日 主日礼拝

ルカの福音書 2章4~12節
國分広士牧師

1.飼い葉桶に寝かせなければならなかったという不都合

  • 予定外の住民登録:住民登録は、現代と違い、為政者の都合で不定期に行われる。事前に予定が把握できていたら、もっと計画的に行動しただろう。
  • 宿屋には場所がなかった。経済的な事情か、急な住民登録で先客がいたからか、事情は不明だが、出産に良い場所が確保できなかった。そのため、新生児を飼い葉桶に寝かせるという結果になった。
  • 神が時にかなった助けを与えてくださることを知っている者は、神がなぜこのような不都合をマリアたちに味あわせたのか不思議に思う。なぜ彼らを暖かく迎える家を用意してくださらなかったのだろうか?

2.飼い葉桶に寝ていたという好都合

  • 神のみこころの全てがわかるわけではないが、少なくとも、羊飼いたちにとっては、救い主が飼い葉桶に寝ていたのは好都合だった。他の赤ん坊と間違えることがないし、屋内より家畜を飼う場所の方が接近しやすい。
  • 名も記されていない羊飼いたちに救い主の誕生を知らせたとて、社会的には何も影響はない。しかし羊飼い自身にとっては、救い主にお会いすると言う最高の経験だった。主は社会的影響力があってもなくても、個々人を愛し導かれる。
  • マリアとヨセフにとっても、自分たちの不都合が他の人の好都合となったことで励まされ、主に感謝したことだろう。

3.いと高き方が低くなられた

  • マリアや羊飼いたちにとっての意味だけでなく、読者である私たちにとっても、救い主が飼い葉桶に寝かされたことには大切な意味がある。
  • 世界の造り主であり、支配者である、いと高き方が、低くなってくださった。
      ピリピ2:6-7には「キリストは、神の御姿であられるのに…ご自分を空しくして、人間と同じようになられました。」とある。相手と同じ立場になることで、真に心の通う交流が可能になる。神は私たちと同じ場所に生まれてくださった。私たちの立場を理解くださることを飼い葉桶は示している。
  • またヘブル2:17−18には「イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。…イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」とある。人間の救い主になれるために人間として生き、人間として死なれた。飼い葉桶は救い主の証。
  • コリント第一6:19には「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮」とある。主イエスを信じる者の心に聖霊は宿ってくださるのだ。しかし、自分の心はあまりにも汚れているから、聖霊は宿らないだろうと私たちは心配する。だが、主イエスの最初の寝床は決して清潔ではない飼い葉桶だった。飼い葉桶は、どんな人の心にも聖霊が宿ってくださることを象徴的に示している。
  • もっと良い心になってからと思わず、飼い葉桶のような自分の心に、主をお迎えしよう。