2022年12月18日 主日礼拝

マタイの福音書 1章18~25節
國分広士牧師

1.ヨセフの恐れ

  • マタイの福音書とルカの福音書は、同時期に別々の著者によって記された。お互いに独自の編集方針で書かれているので、扱っている情報や書き方の違いが多々ある。主イエスの誕生については、ルカがマリアの見地から書いているのに対し、マタイはヨセフの見地から書いている。聖書の執筆は聖霊によって導かれる。聖霊が両者を導き、両方向から事実が掴めるように執筆させたのだ。
  • 預言ではダビデの子孫から救い主が誕生する。ヨセフがダビデの子孫であることが重要。ヨセフの子だから「ダビデの子」となる。
  • ユダヤにおける「婚約」は、まだ結婚生活には入っていないが、法的には婚姻関係にあることを示す。娘の婚姻は親が決めるが、まだ結婚生活に入る年齢に達していなかったのだろう。夫ヨセフは正しい人なので、同居するまでは肉体関係を持っていなかった。それなのに妻マリアが身ごもったので、恐れたのである。
  • 「聖霊によって身ごもっている」というのは、マリア側からの事情説明を聞いたのだろう。しかしヨセフは受け入れられず、かといってマリアを不貞だと断罪もできず、ひそかに離縁するのが妥当ではないかと思いめぐらした。

2.自分の妻を迎え入れた

  • ヨセフが離縁を言い出す前に、彼の夢に主の使いが現れ、マリアのことばを裏付けてくれた。ヨセフを納得させたポイントは「聖霊による妊娠」だということ、「男の子を産む」こと、「名はイエス」と決められていること、「生まれる子は人々を罪から救う方」だということ。全てマリアにみ使いが告げた通り。
  • ヨセフは見た夢を信じた。マリアのことばに影響された脳が生み出したストーリーとは思わなかった。あるいは、まだマリアの説明を詳しく聞く前だったかもしれない。そうなら互いに与えられた御使いのことばを照合することで、確かな導きだと信じたのかもしれない。
  • ヨセフはマリアを迎えて同居を始めた。そして生まれた子をイエスと名付けた。名付けは我が子と認知した証明。御使いに告げられた通りに名をつけたことは彼の信仰を表している。

3.「神が私たちとともにおられる」から恐れない

  • ヨセフの内面はあまり書かれていないので、彼がどう心を整理したかは不明だが、預言者イザヤのことばが引用されているので、ヨセフがこのことばを思い起こして励ましを受けたのかもしれない。
  • イザヤは「処女が身ごもる」と預言した。それはまさにマリアの状況。生まれるのが男の子というのもみ告げ通り。
  • イザヤの預言では名は「インマヌエル」。その意味は「神が私たちとともにおられる」だとマタイは解き明かす。一方、「イエス」はヘブル語では「ヨシュア」で、意味は「主は救われる」。二つの名の意味を合わせると、「神がともにおられて、救ってくださる」ということになる。
  • ヨセフは行動で信仰を表明した。主は約束通りに、罪からの救い主を与えてくださったのだ。ヨセフのように、感謝して主イエスを受け入れよう。