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2022年8月21日 主日礼拝
1.狭い門とは
- エルサレムのような城壁都市には、町に出入りする門がいくつかある。通常は大きな門を通るが、夜には閉じられる。非常用緊急用の小さい門もあったので、これを狭い門と言ったのだろう。
- 23節「主よ、救われる人は少ないのですか?」という問いに答えて主イエスは「狭い門から入るように努めなさい。」と答えた。神の国に入る道の厳しさを語る表現であったと考えられる。
2.狭さの意味
- 仏教の「大乗教」は、悟りを開けない人々も救おうという優しい教え。しかし、マタイ7:13-14では「滅びに至る門は大きく」とも語っている。簡単に通れる大きな門が開かれていても、どこに入る門なのかが問題。親切そうな罠もある。
- いじわるで狭くしているのではない。狭さには意味がある。駅の改札口はなぜ狭いのか?それは一人づつ通過させるため。切符がないかチャージできていない時にゲートを閉ざして通過させないため。広いゲートではそうはいかない。
- 「狭い門」を通る時には、その人自身が門番にチェックされる。怪しい者は入れてもらえない。神の国に入る時にも、神によって自分の心の中がチェックされる。赦されていない罪を持ったままでは通過できない。
3.狭い門から入れるのは誰か
- ヘブル10:19-20には「私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。」とある。主イエスによって罪が赦された者は、狭い門から神の国に入ることができる。
- 神の前に自分の罪を告白し、主イエスが十字架で自分の罪の罰を代わりに受けてくださったことを信じよう。
- またヘブル10:22には「心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。」とも書かれている。心の信仰を、洗礼を受けることで公に告白し、神に真心で近づこう。
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