2021年12月19日 主日礼拝

ルカ 1章76~79節
國分広士牧師

1.どこからくる光か

  • 曙は日の出のこと。しかしこの箇所での光は「いと高き所から」。この表現は世界の造り主であり、支配者であり、裁き主でもある神を指す。神からの光。
  • 光にも色々な種類の光がある。「曙」が示す陽光は、月の光や人工の光よりも圧倒的に明るく、全地を照らし、また温める。陽光なしには生きられない。神の恵みは陽光のように圧倒的に豊かで、全ての存在に及び、その恵みなしにはどんな存在も生きられない。

2.誰を照らす光か

  • 「私たちに訪れ」と記されている。この「私たち」に自分自身を加えるなら、神の光は私自身を照らす光として受け止められる。
  • ではその私たちとはどういう者なのか?79節には「暗闇と死の陰に住んでいた者たち」とある。私たちは暗闇にいる。様々な課題に対して、希望の光が見えない状態にある。「地球温暖化」、「マイクロプラスチック」、「核のゴミ処理」などの環境問題は、全人類にとっての危機。解決を先送りにすればするほど、むしろ解決が望めなくなる問題のはずだが、誰も解決策を持っていない。
  • 拉致問題も希望の光が見えない。北朝鮮が経済的に困れば日本に泣きついてくるだろうと期待して待ち続けているが、応答がないまま。他に良い手段もないので待つしかない状況だが、仮に逆の立場なら、相手に泣きつくよりプライドを守って「真珠湾攻撃」のような自殺的行為に走るのではとも思える。
  • この闇と死の陰にいる者たちを、主なる神は見捨てずに、恵みの光で照らしてくださる。神にしか真の望みはない。 

3.何のための光か

  • 77節には「罪の赦しによる救い」と記されている。私たちの抱えている問題は、人間の罪の結果。豊かさを求めるあまり、多大なエネルギーを得ようと、石油を燃やし、核物質を燃やしている。生きるのに必要なエネルギーだけなら、そこまでする必要はないが、他者との競争に勝ち豊かになるためにはより多くのエネルギーが必要になり、問題ある使い方を続けてきた。
  • 拉致も、停戦状態の朝鮮戦争に勝利する方策として北朝鮮は行った。軍事活動によって民間人が被害を受けることは、世の常である。
  • 米国はアフガニスタンでの無人機による誤爆を認めたが、誰にも責任は問わないという。非常にやるせ無さを感じる。とはいっても、誰かに責任を負わせようとしても、誰が真に責任を負うべきなのか?
  • 神は全ての人間の罪の責任を、ご自分で負われる。全ての造り主だから、真の責任者として進み出る。人間の罪の身代わりになるために、神が人間になり、最も重い刑罰である十字架刑になって、責任を果たす。それがイエス様の使命。
  • 神が責任をとってくださるから、私たちの罪は赦される。私たちはできることをすればよい。それは自分の罪を悔い改めること。ザカリヤの子ヨハネはやがて成長した時、悔い改めを教えた。
  • その神の計画がもうすぐ実現することを、ザカリヤは「曙の光」と呼んだ。私たちもこの光を求め神の前に進み出よう。