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2021年12月26日 主日礼拝
1.人からは見捨てられている(10-11節)
- ダビデ王は息子アブシャロムの謀反によるクーデターで、都エルサレムから逃げた。アブシャロムの参謀アヒトフェルは、ダビデが生きている限り政権が安定しないので、自分が軍を率いてダビデを追い、彼を打ち取ると進言した。そうしたいのちを狙われている状況を訴えている。
- 実際にはアヒトフェルの優れた作戦案は、ダビデの友人であったフシャイのもっともらしい反対論で抑えられたが、危機的な状況であったことは確か。謀反には多くの有力者が加担しており、国を二分する争いだった。
2.神に対して見捨てないでくださいと願う(9,12,18節)
- 危機的状況に置かれた人は、誰かに助けを求める。しかし助けに見えて敵の罠かもしれない。あるいは願った相手に助ける力がなければ絶望。本当に助けてくれるのは誰なのか?
- ダビデは全能の神に「見捨てないでください」と願う。真に助ける力を持つ方に願えるのは幸い。
3.最期まで主を賛美し、主の義と救いを語り告げる(14-18節)
- ダビデは助けを求めるだけでなく、主を賛美する。(14)
- ダビデは個人的に主を信じているだけでなく、人々に主の義と救いを語り告げる。(15,18)
- 危機的状況では、心の信仰を語らず無言になることが多い。困っている自分が「主は素晴らしい」と言っても白々しいと思うから。しかしダビデはどんな時も主を賛美する。
- 年齢的に年老いたから、若い人に宣教の奉仕は託したいと、自分は黙りこむこともあるだろう。しかしダビデは「年老いても…私はなおも告げ知らせます。…後に来るすべての者に。」(18)と語る。そこに彼の真実な信仰の姿勢が見える。彼は主の恵みを語り告げることで主に栄光をお返ししていた。恥を恐れて黙りこむのは自分の栄光を求めるから。
- 「自分はよく知らないから」と黙り込む人もいるだろう。しかしダビデは「すべてを私は知っていませんが」と認めつつ、信じている「神の義と救い」については語る(15)。他の人が語っている時に黙って聞く姿勢は正しい。しかし、自分が語れる相手に、語る機会があるのに、語るべき事柄を黙するなら、それは隠蔽であり主への叛逆。
- いのちある限り主を讃え、主をあかししたいと思えてこそ、主の助けと支えを積極的に願うことができる。
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