2013年7月7日 主日礼拝
1.覚悟
「どこへでもついて行きます」と主イエスの弟子に志願する者がいたが、主は志願者の全てを受け入れたのではなかった。彼に対しては、歓迎の言葉ではなく、主の道のきびしさを語り、覚悟を問われた。なぜ弟子になるのかという動機が問われる。自己実現(自分が満足できる生き方の実現)のために主の弟子になろうとするなら、生活の安定が保証されないならすぐに挫折する。
2.主の招きへの応答
主のほうから「わたしについて来なさい」と招き、その召命に応じることによって、私たちは弟子になる。自分が呼ばれていると自覚するかどうかが決定的に重要。しかし、呼びかけられても、すぐに応じない者もいる。「父の葬り」は強力な延期の理由。「死人…」は民数記6:2-8のナジル人への教えを思い起こす。自分を主のものとするかどうかが問われる。自分の今いる状況から「出て行って、神の国を」と、主は招かれる。
3.うしろを見るな
従うことを誓いながら、「ただその前に」と、従い方に条件を付ける者もいる。「いとまごい」はエリシャのケース(Ⅰ列王19:20)を根拠にしている。しかし主イエスは、自分の気になる事、自分の関心の方が優先されることを戒め、うしろを見ないで主を見て、主に従う姿勢を原則とされた。真実に主を信頼し、主のみこころの実現に協力したいと願う者を主は望まれる。