2014年5月4日 主日礼拝

創世記 3章17~24節
國分広士牧師

1.ちりに帰る理由(17-19)

いのちは神から与えられたもの。いのちの源である神が、いのちを与え続けて下さらなければ死ぬのは当然。元々土から造られたので、死ねば土に帰る。神のことばを信じないで反逆するのは、愚かな自己破壊だと、神は私たちに語りかけておられる。

2.神との交わりからの追放(22-24)

神は人をエデンから追放する。罪を持ったまま神と親しく交わる事はできないし、直ちに滅ぼすのではなく、人間に悔い改めの猶予を与えるためでもあった。いのちの実も食べて、罪人のまま永遠に生きるという最悪の結果にならないためでもあった。

3.恥を覆う皮の衣(20-21)

罪を犯した人は、裸で居る事を恥じ、隠そうとしたが、うまくできなかった。神は「裸を恥じるな」と強弁せず、その恥を覆うため、皮の衣を造って着せて下さった。整えられたエデンの園と違い、外の世界には様々な危険が伴うので、衣服は必需品。いちじくの葉の腰おおいとは比べ物にならない。人の恥を覆うのは、人を愛し、罪を赦すという神の意思の現れ。自分の恥を、十字架の贖いによって覆っていただこう。