2014年10月26日 主日礼拝

ヨハネの手紙第一 1章5節~10節
國分広士牧師

1.神は暗いところが少しもない光

神ご自身であるキリストが、神は光だと教えてくださった。私たちの経験する光は、明るい部分と影の部分がある。最も明るい太陽にさえ、黒点という暗い部分がある。ところが神には暗いとことが少しもない。このお方の前に私たちが立つとき、私たちの全てが照らされ明らかにされる。隠れた部分も、心の奥底までも照らされる。

2.もし罪を犯していないと言うなら

私たちは自分を基準に物事を考える。自分より正しいか悪いかで、善悪を判断している。社会的に問題児に扱われる人でも心理構造は同じで、自分を基準に考えるので、自分を普通の人間だと考え、悪い人だとは思わない。しかし、神は光なので、神が私たちを評価するときには、良い部分をきちんと評価してくださるのと同じように、隠れた罪深さもしっかり裁かれる。自分を正しいと言うなら神を偽り者にすることになる。

3.もし罪を言い表すなら

神は光なので、真実を喜ばれる。自分の罪をすなおに認めて言い表すなら、神は赦してくださる。赦しに必要な償いは、すでにキリストの十字架で成し遂げられているので、「私の罪のためにイエス様は死なれた」と認めるだけで赦される。赦してくださる方を信じよう。