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2018年4月8日 主日礼拝
1 子のないハンナの苦しみ。(1-8)
- みことばをいただいた者として、先月までモーセについて学んだが、今度はサムエルについて学ぶ。サムエルもモーセと同じように、出生についての記事が書かれており、その生涯が神によって与えられた人であることが強調されている。神のみことばは、誰によって記されたのかが重要。「神が召された者」なのかどうかが決定的なポイント。
- サムエルの父エルカナの系図についての記述から始まる。歴史的事実だということ。サムエルの存在も事実であり、ハンナの苦しみも事実であったということ。
- ハンナは、妻が二人いる複雑な家庭事情の犠牲者。ライバルのペニンナは事あるごとに子のない苛立たせた。ペニンナが優しい人だったら、ハンナはもっと楽だった。しかし、そうなら彼女はこの後の祈りをしなかったかもしれない。苦しみの意味を考えさせられる。
2 子を願うハンナの祈り。(9-11)
- ハンナは苦しみを主に祈った。
- よく遊びにくるこどもが、他の公園で上級生にいじめられたと、訴えるために教会に来た。別のこどもたちがその話を聞いて慰め、笑顔で帰ることができた。苦しい心をどこに向けるのかが問題。主イエスが、悲しむ者は幸い、慰められるから(マタイ5:4)と教えたように、主から慰めが与えられるなら、苦しみも幸い。
- ハンナは祈るとき、子が与えられたなら主にささげると誓った。神の側からそのような条件をつけられたのではなく、自発的な誓いである。取引でもなく、願いである。真に主に求める時に、心に良い願いが起こされる。
3 ハンナの心に与えられた平安。(12-19)
- 祈り、祭司との会話が終わり、ハンナは平安を得た。まだ妊娠の兆候はない。しかし彼女の顔は変わり、食事をする元気も出た。
- 祈りは「結果」も大切だが、結果がどうあろうと、神との交わりで心が平安になることも重要。神はご自分を信頼する者を喜ばれる。
4 誕生した子を主にゆだねるハンナ。(20-28)
- ハンナの祈りのことばは、人には聞かれていない。幼いこどもを手放すのは親にとっては切ない。聞かれていないからと、ハンナが誓いをやぶっても、誰にもとがめられなかっただろう。しかし、ハンナは誓いを守り、他人に預けられる年齢になったサムエルを、祭司エリに託した。
- それはハンナの信仰。彼女はサムエルが祈りの結果与えられた子であることを心から認めていた。サムエルの存在が、彼女にとって、主が自分を愛されている「しるし」だった。ならば、神の愛に応えたいとハンナは願った。
- 生まれたサムエルを、どう育て、どのように生きるように導くかが問題。親元を離れる寂しさより、愛する主に仕える幸いをハンナは信じ、委ねた。主との深い信頼関係を心に持つ者は幸い。
- 主のみことばを語る大預言者サムエルは、信仰の母から生み出されたことを心にとめよう。
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