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2018年6月24日 主日礼拝
良い牧者は羊のために命を捨てる(11-13)
- 「私は良い牧者」という主イエスのことばは、詩篇23篇を思い出させる。
<詩篇 23篇>
1,主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2,主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
3,主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。
4,たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。
あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。
5,私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。
私の杯はあふれています。
6,まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。
私はいつまでも主の家に住まいます。 - ダビデは自分を主の羊と考えた。主イエスはご自分を牧者(羊飼い)だと言った。
- それは同じ事実を、それぞれの視点から語っている。
- 主イエスは、牧者にも「良い牧者」とそうでない者がいることを指摘し、ご自分を信じ従うように呼びかけている。私たちの罪のために死なれた方はイエス様しかいない。雇人は狼が来ると逃げるように、真に私たちのために犠牲を払うのはイエス様のみ。
良い牧者は自分の羊を知り、羊に知られている(14-16)
- 羊飼いに可愛がられた羊は、なつく。羊飼いの声を聞き分け、従う。
- 餌でおびきよせれば、なついていない人にも寄って来る。しかし餌がなくなれば寄りつかない。
- イエス様が父なる神様と深い信頼関係を持っているのと同じだと言われると、そこまでの深さには達していないと恥じる。しかし、弱さはあっても、キリスト者の共通点は、主イエスを愛していること。主が自分を真剣に愛してくださっていいることを信じるなら、自然と主イエスへの愛が湧いて来るから。
- 「この囲いに属さない羊」は異邦人。日本人のような異邦人にも主は導きを与え、主イエスを信じる者はみことばに聞き従うようになる。
命を捨てる権威と再び得る権威を持つ方(17-18)
- 主イエスは自分の意志に反して殺されたのではない。ラザロの復活よりも前の時点で、主イエスはご自分の死を予告していた。逃げようと思えば逃げられた。十字架上で「キリストなら自分を救え」とののしられたとき、そうすることもできた。しかし、それでは私たちの罪を贖えないから、積極的に十字架へと向かわれたのだ。
- 主イエスは死だけでなく復活も予告しておられた。十字架と復活は、なりゆきで起きたことではなく、人を救う神のご計画における、中心的な出来事なのである。
- この偉大な権威を持つお方が、私たちの「良い牧者」である。私たちはこの方の羊になろう。主イエスの声、すなわち「みことば」を聞こう。そのみことばに従うことを決意しよう。主は信じる者を救ってくださる。
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