2018年8月19日 主日礼拝

詩篇 119篇73~96節
國分広士牧師

喜びをもって待ち望むみことば(73-80)

  • v73 造られた喜び。自分自身の創造を感謝し、生きて存在できているのは神のご計画によることだとわきまえる。だからこそ、神のみことばを学んで悟らせていただきたいと望んでいる。
  • v74 主を信じる者は、同じように主のみことばを待ち望む者を喜ぶ。
  • v75 苦しみさえも喜ぶ。そこに主の真実のさばきがあるから。
  • v76-77 苦しみは慰めを得る機会となる。苦しみの時はみことばを求める思いが増し、みことばが与えられた喜びが深くなる。
  • v78-80 神は他の人々をも自分と同じように愛し導かれている。高ぶる者には砕かれる恵が与えられるように願う。信仰者たちとは交わりが回復することを願う。我が身を守ろうと罪を犯すのでなく、主に委ねて正しい生き方ができるように願う。

忍耐をもって待ち望むみことば(81-88)

  • v81-83 「絶え入るばかり」が二度繰り返され、みことばを慕う思いの切実さを強調している。必ず恵まれると信じているが、その実現をまだ見ていない。煙でいぶされ続ける皮袋は待ち続ける忍耐の象徴的存在。
  • v84-87 迫害の苦しみを主に訴える。主を待ち望む忍耐とはただ黙することではなく、人には黙するが主には訴えるのだ。
  • v88 心の思いをきちんと訴えてこそ、恵みで生かされていることをわきまえ、「御口のさとしを守ります。」と委ねることができる。

私を生かすみことば(89-96)

  • v89-91 みことばの絶対性に注目している。その場その場で考えの変わる人間と違い、神のことばは昨日も今日もいつまでも変わらない。この地は神のみことばで造られ、今も存在し続けている。全ての存在は神に造られた神のしもべなのだと、わきまえようとしている。
  • v92-94 造り主のおしえを知らなかったなら、調子の良い時は喜べても、苦難に出会えば失望して滅びてしまう。滅びる前にみ言葉を心に蓄え、忘れてはいけない。苦しみの時にみことばは救いの希望となる。
  • v95-96 今もサタンは自分のたましいを神から引き離し滅ぼそうと狙っている。あからさまに信仰に反対することもあれば、肉欲を楽しもうとささやき誘惑したりもする。そうした罪深い声ばかり聞いていれば、神に背くのが当然であるように思えてしまう。
  • 神のさとしを聞きわけよう。神も私たちに語りかけておられることに注意を払おう。世の楽しみには終わりがある。いつか過ぎ去る。しかし神のことばは変わらない。その仰せは広いので自分もいれていただける余地が十分にある。