2018年8月12日 主日礼拝

詩篇 119篇49~72節
國分広士牧師

悩みのときの慰め(49-56)

  • 「悩みのとき」(50節)は誰にもある。51節のように「嘲り」を受けるなら人は悩む。
  • 人に悪く言われた時は、信頼する人に相談し励ましを受けると心安らぐ。最も信頼できるお方は主。「あの人はこう言うけれど、主はなんと言われるのか?」と考え、みことばを待ち望もう。そうするなら、「私はあなたのとこしえからのさばきを心に留め慰めを得ます」(52節)

みことばを守る決意(57-64)

  • みことばに慰められても、しばらくするとまたみ言葉から心が離れてしまうこともある。迷いやすい者は、祝福を失う。間違っても「あなたのみおしえを捨てる者」(53節)になってはいけない。
  • 心が離れないよう、この詩篇作者は、自分の決意として「私はあなたのみことばを守ると申し上げました」(57節)と語る。また意識的に「心を尽くしてあなたに乞い求めます」(58節)とも言う。
  • こうした決意は、苦しみの時に本意かどうかが確かめられる。「悪しき者の綱が私に巻き付いても」(61節)と言うような、簡単には逃れられない出来事にあうとき、人の本音が出る。多くの詩篇を書いたダビデは、不本意な疑惑を王から受けて命を狙われた。それでも「あなたのみおしえを私は忘れませんでした」とあるように、ダビデは自ら復讐したりせず、神に委ねて罪を犯さなかった。それが、後には人々から尊敬され、彼の王権の確立につながった。

苦しみから知るみことばの意味(65-72)

  • 振り返って考えると、苦しみには意味がある。「苦しみにあう前には私は迷い出ていました。しかし今はあなたのみことばを守ります。」(67節)と言うように、苦しみは迷いを断ち切り、神のみことばに信頼しようと言う決意をするきっかけとなる。
  • ついに詩篇作者は、「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」(71節)とまで言う。手術の痛みを通して回復するように、苦しみの経験が、みことばの意味を考えさせ学ばさせる。みことばは人を救いに導くのだから、必ず幸せになる。「主よあなたはみことばのとおりにあなたのしもべに良くしてくださいました。」(65節)と告白する者になりたい。
  • 神のさとしを聞きわけよう。神も私たちに語りかけておられることに注意を払おう。世の楽しみには終わりがある。いつか過ぎ去る。しかし神のことばは変わらない。その仰せは広いので自分もいれていただける余地が十分にある。