2018年9月9日 主日礼拝

レビ記 19章32節
國分広士牧師

あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。レビ記19章32節

白髪の老人の前では起立せよ

<白髪の肯定的な用例>

  • しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。箴言 16:31
  • 若い男の光栄は彼らの力。年寄りの飾りはそのしらが。箴言 20:29 →白髪は老齢の象徴。老齢は「光栄」すなわち神からの祝福。

<白髪の否定的な用例>

  • 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。詩篇 71:18
  • あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。…わたしは背負って、救い出そう。 イザヤ 46:4 →この世には老人は体や頭が弱くなり、人から見捨てられるかもしれないという危機意識がある。しかし主の愛は年齢など関係ない。

老人を敬え

  • 「起立」の真意は敬うこと。憐れみではない。
  • 老齢をどう見ているかで、真に敬うかどうかが別れる。神からの祝福と思うなら、敬うのは自然。しかし「衰え」や「老い先が短い」というような点に注目して「期待できない」と思えば、本音では敬えない。
  • 本音で敬うなら、老人に意見を求めるし、語られたことばを重んじる。「起立」はそうした真に敬う姿勢を表す動作。

神を恐れよ

  • 「神を恐れよ」という教えは14節にもある。「あなたは耳の聞こえない人を軽んじてはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れよ。わたしは主である。」
  • 障害者を軽んじたりいじめたりするのは、神に敵対する態度だと言う意味。神は全てをご存知。この思想が老人に対する態度にも当てはまる。
  • 表面だけでなく、心の本音を主は見ておられる。老人を敬わない心は神に敵対する心の態度ということになる。

敬いやすい老人になろう

  • 自分の経験をふりかえっても、真に老人を敬ってきたか、起立していたかという反省がある。
  • そうした困難は誰にもあるだろう。ならば確実に年老いていく自分自身の課題は、「敬いやすい老人」になること。
  • 敬うことを学んでこそ、敬われやすい人にも近づける。心の本音を見る神を恐れ、悔い改め、敬う心を与えていただこう。