2018年12月2日 主日礼拝

マタイの福音書 1章18~25節
國分広士牧師

ダビデの子ヨセフ

  • マタイの福音書はヨセフへの受胎告知を記している。ルカの福音書がマリヤへの受胎告知を記していることと好対照。この二つの福音書は同時期に、お互いの記事内容を知らずに書かれていたと思われるが、見事に補完している。主は不思議な導きで聖書を書かせた。
  • ヨセフはダビデの子孫。それを証明するのが、1-17節の系図。子孫から救い主が生まれる約束はアブラハムに与えられ(創12:3 地のすべての部族は、あなたによって祝福される。)、その子孫であるダビデに受け継がれ(サムエル第二7:16,あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。)、ついにダビデの子孫のヨセフの時代に実現したのである。
  • イスラエルの「婚約」は、法的には結婚と同等。おそらくまだマリヤが若すぎるために、まだ事実上の結婚生活はしていないが、法的にはヨセフとマリヤは夫婦だった。

処女が身ごもっている

  • 主の計画は実に不思議。救い主はダビデの子孫のはずだが、別の預言では処女から生まれるとも記されている。処女降誕自体が不思議だが、家系の問題も不思議。マリヤは祭司の家系の親類なので、ダビデの子孫ではない。ダビデの子孫はヨセフなので、ヨセフとの婚姻が成立しなければ、預言も成就しないということになる。
  • ヨセフはマリヤの妊娠を知る。マリヤのおなかの子は自分の子ではないとわかっていたから、正式な裁判で別れることもできたが、それではマリヤがさらし者になると思い、別れ方を悩んでいた。
  • このケースで結局二人が結ばれ、生まれた子をヨセフが自分の子と認知することは通常考えられない。主は不思議なことをなさる。ヨセフは夢を見た。夢だから自分以外は誰も御使いのことばを聞いていない。それでも迷わずに行動したのは真にマリヤを愛していたからだろう。

名づける

  • 名付けは親の責任。名付けることで自分の子と認知したことになる。ヨセフは御使いに言われたとおりイエスと名付けた。ルカの福音書に記されたマリヤへの受胎告知(ルカ1:31,見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。)でも同じ名が命じられていた。行為として名付けたのはヨセフだが、名前自体を決めたのは父なる神だった。イエスと名付けることで、ヨセフと同時に父なる神も、自分の子だと認知したのである。
  • ヨセフの従順は預言を成就させた。主のご計画は具体的には私たちの人生を用い、私たちの信仰の歩みの中で実現する。主に積極的に用いていただこう。