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2021年9月5日 主日礼拝
1.イエスを連れ戻そうとした家族(3:20-21)
- ルカ3:23には「イエスは、働きを始められたとき、およそ30歳」とある。イエス様の家族については、6:3に「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」とある。父ヨセフの名が出てこないので、亡くなっており、イエス様が大工として家族を養っていたのかもしれない。
- それが急に人々から注目され、いつも群衆に囲まれる特殊な存在になってしまった。肯定的な評判ならばよいが、「イエスはおかしくなった」という否定的な声も聞こえた。家族としては非常に気になっただろう。イエスの家族ということで自分たちも特別視されてしまうことも耐えられなかったのかもしれない。家族はイエスを連れ戻そうとして、皆(32節:母と兄弟姉妹)でやってきた。家族は、イエス様が救い主であることを、まだ理解していなかった。
2.わたしの母・兄弟とはだれでしょうか(33)
- イエスのいた家では大勢の人がイエスを囲んでいたので、イエスだけを呼び出そうと、家族は人を送った。他の人々に邪魔されず、家族だけで直接話し合いたいと思ったのだろう。家族が皆で心配して来たと聞けば、当然会いに行くと人は予想する。
- ところが、イエス様は動こうとせず、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」(33節)と問われた。そして、家のすぐ外にご自分の家族がいるのに、「神のみこころを行う人」が「わたしの兄弟、姉妹、母なのです。」(35)と言われた。
- まだ主イエスを救い主と信じていない家族は、神のみこころを理解していないと訴えておられるのだ。
3.神のみこころを行う人が主イエスの家族
- ヨハネ1:12には「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」とある。「となる」ということは、養子にされるというような意味。
- しかし主イエスは父なる神のひとり子(ヨハネ1:14)。この言葉と合わせて考えると、父なる神が家長で、主イエスが長男で、主イエスを信じる者も神の家族の一員に加えられるということ。
- 主イエスはいつも父なる神のみこころを第一とした。だから、「神のみこころを行う人」に、最も親近感を感じられるのだろう。「神のみこころを行う人がわたしの家族だ」と言われたのだ。
- 家族への厳しい態度は無駄ではなかった。彼らは主イエスを信じ、真の家族となった。弟ヤコブは初代教会の中で中心的な存在になった(使15:13)し、もう一人の弟ユダは「ユダの手紙」の著者となった。(ユダ1節)
- 神のみこころを行う人が神の家族。主イエスを信じる者同士は、皆、神の家族の一員。やがて天にいけば、家族全員と出会うが、この地上においても、家族のメンバーたちとの交わりがすでに与えられている。教会の交わりには、大きな意味がある。神の家族を大事にしよう。
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