2019年4月7日 主日礼拝
1 神の似姿に造られた
- 神は造った世界を見ると非常に良かった。それは人間を創造する前ではなく、造ってから。人は非常に良い存在として造られていた。
- 人間の良さは神に似ていること(1:26-27)。他の生命より知性が際立っているが、それも神に似ている一面。
- たとえ人間として悪い者であっても神に似ているという事実は変えられない。ここに人間の尊厳の真の根拠がある。神の似姿として、人間は大切に扱われるべきである。
ローマ 12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
2 地を支配する使命が与えられた
- 人間には、造られる前から地を支配する(1:26,28)という使命が与えられている。その使命の手始めとして、エデンの園を管理させた。(2:15)
- 人間は生き物に名前をつける(2:19-20)。名前をつけるのは支配のため。名前を呼ぶことで対象を明確に把握することができる。
- 暴君となることが期待されているはずはない。神は人間がこの世界を上手に管理し幸福に暮らすことを望まれている。
- 人間の心には神の期待に応えたいという基本的な願いがある。この願いが満たされない限り、人間には真の満足はない。
1サムエル 15:22 主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
3 恥ずかしくなかった
- まだ衣服がない時代。恥ずかしいと感じるのは、罪を犯して以後。何もやましいことがない人間は、恥ずかしいと思わない。
- 罪が蔓延する現在を基準として人間を考えると、罪があって当たり前に思うだろうが、人は元々きよい存在として造られていた。神の似姿なのだから当然。罪の状態は人間として異常な状態なのだ。
- 罪の状態は正されなければならない。悔い改めて赦していただくことで、本来のあるべき状態に戻ろう。
1ヨハネ1:9 もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。