2019年9月8日 主日礼拝

詩篇 71篇
國分広士牧師

序:敬老礼拝のみことばとして詩篇71を学ぶ。ここには、若い日から年老いて人生の終わりに到るまで変わらない、主への求めと賛美が述べられている。

1(1-4) 救いの訴え

 1.救いを求める訴えは、誰に向けられるのか?誰でもいいのか?そうではない。
 3.味方でないものに訴えるなら、無視されるか攻撃されるかもしれない。救いは「私の巌」である「主」に求めなくてはならない。

2(5-9) 救いを求める根拠

 5.なぜ主に求めるのか。それは「私の望み」「若い日からの拠り所」だから。
 6.主は生まれた時から私を抱いている。造り主だから。
 7.これまでの歩みの中で「奇跡」とも思える助けを経験してきた。主は愛のゆえに人生の歩みの中で具体的な助けを与えてくださる。最大の奇跡はキリストの十字架による罪の赦し。
 9.これからも、年老いるまで見捨てないでほしい。人生の終わりまで。

3(10-15) 救いを必要とする状況

 10.「敵」が自分を攻撃している。敵は外側からも心の内側からも攻撃してくる。
 11.「神は彼を見捨てたのだ」という声は、音声として聞くより、自分の心の内側から自分を攻撃する声。神に見捨てられたら望みはないが、それは敵の声であって、真実ではない。
 15.自分は神の義と救いを全て知っているわけではない。わからないこともたくさんある。でも神が自分を愛しておられることは信じている。だからあくまで頼る。

4(16-21) 救いを信じる

 16.不安や恐れではなく、神の義を心に留め、神の力とともに行こうと決意する。
 17.もっと若い頃から素直に神の教えを学び、それを喜んできた。
 18.その歩みを続ける。神は幼子を愛するが、白髪頭になった者も神の前では幼子。神に愛されている者として、神のすばらしさを伝える。
 20.神は自分に苦難も経験させたが、
  「再び生き返らせ」てくださることを信じる。
  「地の深みから再び引き上げてくださ」ることを信じる。
  苦難も救いも、自分でなく神のもの。私たちは神の手のなかにある。
  ※「再び」が繰り返されている。生きる限り望みはある。

5(22-24) 救い主への賛美

 22.神は本当に真実。神は裁き主だが救い主でもある。義だけでなく救いを味わってこそ、真に神の真実を知ることができる。
 23.罪を贖われたたましいこそが、神をほめ歌う。賛美は、赦されたたましいの叫びなのだ。

結:人生の経験が長いほど、苦労も幸いも味わう。成功も挫折も味わう。悲しみも喜びも味わう。その経験が整理されないなら「いろいろあった」と言うだけ。  ・振り返ったときに、自分の人生を計画を持って導いておられる主がおられることを発見できる者は、心から主をほめ歌う。  ・主に求め、救いをいただき、ほめ歌う者にしていただこう。