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2021年8月8日 主日礼拝
1.(復習)
- 20章で十戒のことばを神が語った時、民の皆が神の言葉を聞いた。その中で「偶像を造ってはならない。拝んではならない。」と戒められていた。ところが、モーセが山に登って、主の教えを詳しく聞いて、40日後に降りてくる間に、民は偶像を造り拝んでしまった。
- モーセは神から、神ご自身が十戒の言葉を刻んだ石板を受け取ったが、山から降りて民の偶像崇拝の光景を見て憤り、その板を砕いてしまった。モーセは民を厳しく裁き、3000人も粛清された。その上で、モーセは、主が民を赦してくださるよう求め、主は受け入れてくださった。
2.(34章)
- 主は再度十戒を与えてくださった。今度はモーセが石板を用意し(1)、モーセが言葉を書き記した(28)が、内容には変わりはない。また、さらに多くの教えを語るが、趣旨は前回と変わらない。要した日数もまた40日。(28) 神を裏切った民を、神は変わらない態度で導びいてくださる。今度は民は大人しく待っていた。
- 前回と違うのはモーセの顔が光ったこと。(29-35)神とモーセとの深い関係を示している。民は神を恐れるようにモーセを恐れた。(30)
3.(35章1-20)
- 主は、民が主に従う具体的な機会として、奉納物(ささげもの)を持ってくるよう命じた。
- 割り当てではない。「進んで献げる心のある人に」(5)と言われている。
- そのことばを聞いて、民は立ち去った。そして彼らはどうしたのだろうか?
4.(35:21-29)
- 「心を動かされた者」「霊に促しを受けた者」「進んで献げる心のある者」が主への奉納物として、自分の持っている高価なものを持ってきた。「心に知恵のある女」「心を動かされ、知恵を用いたいと思った女」は、自分の手で捧げものを作って持ってきた。部族の長たちは宝石、香料、油といった、特に高価なものを持ってきた。
- 非常に熱心に主に捧げる様子が見られる。
- つい最近、3000人も粛清されたことを思うと、民が反省して、主に真剣に仕えようとしたと考えられる。
- だが、あくまで「心を動かされた者」がしたことである。全員ではないのではないか? いや、29節では「イスラエルの子らは男も女もみな」とある。この表現からは、皆がしたように思える。実に不思議である。
- 大切なポイントは「動かされた」という点。誰が心を動かしたのだろうか?
- ピリピ2:13には「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」とある。神が心を動かしてくださったのだ。動かされたとはいえ自分の心なので、不本意ではない。ここまでの全てのことが、心を動かす要因であったことを思うと、神のお考えは実に深い。
- 私たちも心を動かしていただこう。良い志を与えてくださるように祈り求めよう。志を実行する勇気も求めよう。
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