2021年1月10日 主日礼拝

マタイ 12章7節~14節
國分広士牧師

1.『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』

  • 主イエスが引用した旧約聖書の言葉を二箇所見よう。
    ①ホセア6:6,わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。
    ②ミカ6:6-8,何をもって、私は主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

2.片手の萎えた人を前にした議論

  • 律法とは神が人に与えた戒め。モーセの十戒にはこう書かれている。
  • 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。」
  • 安息日は世界の造り主に感謝し、あえて仕事をしないことで神を崇める日。それによって人も家畜も休めるという恩恵を受ける。
  • パリサイ人たちは、癒しは働きだから、安息日には癒すべきでないと考えた。しかし主イエスは羊が穴に落ちたら安息日でも助け出すと指摘し、安息日に良いことをするのは律法にかなっていると教えた。
  • 一番大切なのは、神が喜ばれることは何かということ。律法はそれを教えるためにある。勝手な解釈で、神の喜ばれない結果を律法から導き出すのは悪魔的。

3.癒しの結果

  • 癒された人の反応は書かれていないが、神に感謝しただろう。彼を愛していた人たちや主イエスを信じる人々も喜び、感謝しただろう。
  • しかしパリサイ人たち感謝せず怒った。なぜか。第一に彼らは癒された人を大切に思っていなかった。WHOのテドロス事務局長は高所得国の新型コロナウイルスワクチンの買い占めを批判したが、それに対して、資金を出した国が優先されて当然という反論を聞く。哀れみのないパリサイ人のよう。
  • パリサイ人は自分たちだけでの相談をし、イエスは殺されるべきと判断した。同じ意見の人だけで話をまとめれば極端になりやすい。トランプ氏の演説を聞いた人たちが正義と信じて行った暴挙を忘れてはいけない。
  • モーセの十戒には「殺してはならない。」とも書かれている。一つの律法を守ろうとして別の律法を破るのは、神が何を喜ばれるかと考えていないから。
  • 神は真実の愛を喜ばれる。神ご自身の真実の愛は、主イエスの十字架で明確に示された。神の愛に、私たちも愛の応答をしよう。