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2021年1月17日 主日礼拝
1.たとえを用いての宣教
- 主イエスはたとえを用いてお話しされることが多かった。ここでは、有名な四つの種のたとえが語られた。話の最後に「耳のある者は聞きなさい。(9)」と言われたのが意味深。集まる人は多いけれど、真に主イエスのことばの意味を理解する者は少なかったのだろう。そこでたとえを用いられた。 (13)
- たとえは話を面白くきかせ、しかも印象に残る効果がある。面白ければいいのではない。面白さを追求するならお笑い芸人の話を聞いた方がいい。心に印象が残り、その時には理解できなくても、やがてその意味を悟り、悔い改めるチャンスを与えることこそ、主イエスの意図だったのだろう。
2.奥義を知ることが許されているのは恵み
- 主イエスの12弟子たちは、主イエスと生活をともにしているので、自分の疑問を直接尋ねて、理解を深める機会が与えられていた。それは大きな恵みだった。彼らは主イエスに色々な質問をしたことが福音書に記されている。時には愚問もあれば、非常に良い質問もあった。そうした質問をすることこそ、彼らに与えられた大きな役割だった。
- 主イエスも弟子たちの質問に丁寧に答えられた。そうして、一方的に主から教えが語られる野とは違い、主イエスとの心が通じるやりとりの上で教えられたことは、素直に受け止めることができる。
- 弟子たちとの会話だからこそ明かされる、主イエスの嘆きも、ここでは語られた。あんなに大勢が集まって熱心に聞いているのに、真に悟ることが少ないと。
- 弟子たちの幸いは、主イエスと人格的に交わることができたこと。理解が追いついていかなくても、主イエスの愛を感じ、信頼は深まる。「持っている人(12)」とは、主イエスへの信頼を持っている人なのだろう。そういう人は、さらに豊かに与えられる。しかし、主イエスへの信頼を持っていなければ、その時には知恵があるように見えても、やがて無意味なものとなってしまう。
3.与えられている恵みを感謝して受け取ろう
- 私たちには聖書が与えられている。聖書を読み祈りことで、弟子たちのように、主イエスと交わることができる。疑問があるなら祈りで尋ね、その上で聖書を学ぶなら、豊かな答えを得る。そうして、自分の祈りを聞いてくださる主イエスを信頼するようになる。
- 多くの預言者や旧約聖書の義人たちが、私たちの持つ聖書を見れば羨むだろう。それを知りたか...
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