2021年5月23日 主日礼拝 (講師礼拝)
序) 2つの命令
「祈りなさい」「行きなさい」
1.収穫は多い
- 神が、雨(実りの祝福)を与えるタイミングは、御心によってちょうどよいタイミングであるが、わからない。
- Iコリント 3:5-7 参照。実りを成長させるのは神であり、私たちの役割は畑を用意すること。
→祈ること(働き手が足りないのは、不足の印ではなく、成長の印)
→行くこと(祈ることによって、働きの重要性がわかってくる)
「私の秘密といえば、私の祈りです。祈っていることによってイエス様の愛と一つになっていることが分かります。祈りという意味はイエス様とともに生きる、またイエス様と一緒に人々を愛することです。すなわち、イエス様の御言葉を実現することです。」マザーテレサの言葉
2.イエス様が遣わします
- どこに行ったらよいのか。なぜ弱い人間が遣わされるのか。
→プラモデル(模型)のたとえ、ジグゾーパズルのたとえ - 私たちは本物の名作であり、私たちを見ると、神の愛や恵みを味わうことができる
- イエス様が出会うつもりの人々へ、私たちは遣わされる。
- 遣わされた道は、楽々の道ではなく、チャレンジがある。
- そのチャレンジは、力関係(問題よりもイエス様の方が強いこと)が明らかになるためである。マタイ 28:18
3.イエス様が主である:喜びの基本
- 帰ってきた弟子たちの喜びは、チャレンジや落胆よりも素晴らしい体験をしたことにあった。
- ふり返ってみる時、イエス様の導きや助けは明らかになり、前に起こった問題は小さく軽く見えるようになる。
- 「イエス様が主である」ということが本当の喜びの基本である。不変の事実によって喜ぶべきであり、体験によって喜んではならない。
結)神に遣わされた人々
- 口が重いモーセ(出エジプト記 4:12)
- 自信が無いギデオン(士師記 6:12)
- 若過ぎると思っていたエレミヤ(エレミヤ 1:9)
- 昇天の前にイエス様は弟子たちに「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ 28:20)と言われた。