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2021年5月30日 主日礼拝
1.追い迫るエジプト軍
- 全エジプトの初子が死ぬという災いを経験し、ファラオはイスラエルを去らせたが、実際にイスラエルが去ると、気が変わった。(14:5)
- ファラオはエジプト軍の精鋭の戦車部隊と、他の戦車部隊も動員して追う。機動力が必要であり、さらに大勢を確保するためには大軍勢が必要だった。
- これは主がファラオの心を頑なにしたから。悔い改めない人間は、良い選択と思い込み、自ら滅びへと向かってしまう。
2.民は、主に向かって叫び、モーセに抗議した
- イスラエルの子らは殺されると、大いに恐れ主に向かって叫んだ。
- 昨日まで主に感謝し喜んでいたのに、今日は恐怖で心が支配されてしまう。なぜか?主の声を聞いていないから。主の計画を信じなかったから。
- 「荒野で死なせるためにエジプトから連れ出したのか?」というモーセへの抗議のことばが、主への叫びの内容を表している。このような抗議は、この後も幾度も繰り返される。これはアダムの抗議(創3:12)と共通する。
- 人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」(創3:12)
- 罪人は皆、似たようなことを考える。私たちの心にも、「自分は被害者だ、悪いのは他の人や神だ」と訴える思いがわきやすい。だから、コロナ禍のような状況になると動揺しやすい。主に叫ぶことは良いが、訴えるだけでなく、主の声に耳を傾けよう。
3.モーセは、主が私たちに為に戦われると答えた
- モーセはエジプトが追ってくることを主から聞いていた(4)。主の言葉を聞き、主の計画を信じているので、モーセは恐れなかった。モーセはかつて「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。4:10」と恐れていた。先が見えているか見えていないかは、心に大きな違いを生む。みことばをよく読もう。
- モーセは「主の救い」と言った。人は、自分で自分を救うことはできない。イスラエルがエジプト軍に無力なのは確か。コロナウイルスのような問題を理解し恐れること自体は正しい。しかし、どこに救いがあるのかは見誤ってはならない。
- モーセは「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」と言った。何もするなということではない。海の水が分かれた時には、向かい側に歩いて渡った。その時には声も出し、積極的に行動しただろう。やるべきことはある。ただ、それをするべき時までは騒がず待てということ。真に行動するべきことが示される前に、エジプトに抵抗したり投降したりなどの無意味な行動をとるなということ。
- 主はまず、雲の柱をエジプト軍との間のバリケードにして時間を稼いだ。そして、強い東風で海の水を分けて道を作られた。イスラエルはそこを渡ることができた。主を信じ従う者は救われる。
- エジプト軍は追跡して海に入ったが、そこで混乱し立ち往生し、後悔したが間に合わず、水がもとに戻って滅んだ。主を信じないで逆らう者は滅びる。彼らの死を無駄にせず、真の教訓を学び取ろう。
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