2026年3月22日 主日礼拝

詩篇119篇71節

國分 広士 牧師

誰でも苦しみは避けたい。苦しい事柄がなくなることを願う。しかし去ってもまた苦しみは来る。なぜ苦しむのか?という疑問が湧く。同じ苦しみでも、意味がわかると前向きになれる。聖書が語る苦しみの意味を学ぼう。

1.苦しみの原因=人の罪

  • 聖書で最初に「苦しみ」という言葉が出てくるのは、人類の先祖のエバが、神に背いた罪の罰として「苦しみとうめきを大いに増す」(創3:16)と宣告されたところ。アダムも「大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得る」(創3:17)と宣告された。
  • 「増す」ということは、多少の苦しみは問題ではない。罪によって、苦しみが耐え難いほど増大したことが問題。「大地はのろわれる」という表現からは、世界の目的である人の罪によって、世界の環境が汚され、異常な状態になっている様に考えさせられる。
  • 苦しみの原因は罪。自分自身の罪も、自分以外の他者の罪も、全てが苦しみにつながる。他者とはいえ、人間は皆兄弟なのだから、身内の問題。戦争の苦しみは、人の罪がもたらす苦しみの最も顕著な表れ。それはカインによる弟アベルの殺害の延長。(創世記4章)
  • 自然災害も、世界の目的である人の罪で、大地が呪われことに起因する。 

2.苦しみは神を求めるきっかけとなる

  • 神は単に罰として苦しませるのではなく、苦しみを「試練」として用いられる。
  • 試練が忍耐を生み、忍耐が練られた品性を生み、希望を生む。(ローマ5:3−4)
  • 失うと、失ったものや人の存在の価値がよくわかる。厳しい状況であるほど、勤勉さが必要になる。自暴自棄になれば破滅しかない。
  • 主イエスも、私たちを救うために苦しまれた。私たちが受けるべき罰を代わりに受けて、最も苦しい死刑である十字架で殺されたのだ。自分の苦しみの経験は、主の苦しみをいくらかでも理解することにつながる。主の十字架を感謝することで、心は慰められる。
  • そのような心になると、苦しみを味わっている他者に共感し慰めることができる。
  • 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。(コリント第二 1:4)

3.苦しみによって神のおきてを学ぶ

  • 詩篇作者もいろいろな苦しみを味わったのだろう。しかし、その苦しみが良い結果をもたらした。67節では「苦しみにあう前には私は迷い出ていました。」と謙虚に告白している。苦しみを通して自分の愚かさを悟ったのだ。それで75節では、神は「真実をもって私を苦しめられた」と語る。詩篇23:4には「あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。」と記されている。誤った方向に進んでいたことを悟らせ、正しい方向に向かわせてくださったと感謝しているのだ。
  • 正しい方向へと向かわせる苦しみは、神の愛のしるしでもある。神に愛されていることを感じ、「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。」と告白したのだろう。

苦しみを避けたい、終わらせたいとだけ思わず、苦しみを与えた主の心の思いを考えよう。主は苦しみを通して、自分への愛を示しておられる。主は私たちの心を主ご自身に向けさせたいのであって、見捨てようとは思っておられない。主を見上げる者は救われる。主イエスを信じ、救いをいただこう。