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2025年9月28日 主日礼拝
1.「原因は何か?」と問う問題意識(2)
- 弟子たちは生まれつきの障害を「罪に起因する」と思っていた。
- こうした問題意識は「因果応報」という仏教思想に似ている。
- しかし主イエスは「誰がいけない、何がいけない」などと原因は論じないで、
- 「この人に神のわざが現れるれるため」と、良い機会だと言われた。(3)
- 問題の原因を追求するのは論理的に思えるが、現実には正確に原因を特定することは困難であり、悪者探しをして責任転嫁をし、解決できたように錯覚しやすい。私たち罪人には、罪の問題については正しく裁けないことをわきまえるべき。
2.神のわざ(3,6-7)
- 主イエスは神のわざとして、泥を作り、盲人の目に塗り、シロアムの池に行って洗えと命じた。盲人が従うと、見えるようになった。
- その日は安息日であり、ユダヤ人は一切の仕事をしない。泥を作るのも目に塗るのも、一種の仕事なので、律法にうるさいパリサイ人は安息日をやぶった罪だと考えた。(16)
3.「わざ」の評価
- 「何が行なわれたのか」に注目する人(16,30-33)
- 生まれつきの盲人の目を開けるというのは圧倒的な奇跡(しるし)。
- 神は、「神を敬い、神のみこころを行う者」の言うことを聞かれるはず。
- 奇跡を行ったゆえに、「神から出ておられる」と元盲人は評価した。
- 「誰が行なったのか」に注目する人(14,16,22,24)は、律法は神の教えなので、律法をやぶる者が神のもとから来るはずがないと考える。癒しとはいえ、安息日に仕事をするのは罪だと考える。幾度も安息日に癒しのわざを行っているイエスは罪人だと考える。罪人のしたことなので、奇跡すら、正しく評価しない。
- 異なる評価による分裂(16)
- 同じ事実を見ても、主イエスを信じる者と、否定する者とに分裂した。
4.イエスを礼拝
- イエスが彼を見つけ出した(35)
- 追い出された元盲人を、イエスは見つけ出した。その上で「人の子(救い主)を信じますか」と尋ねた。見えれば良いのではなく、信仰を持つことが真の目的だった。
- 正直な告白
- 元盲人は「信じることができるように教えてください。」と正直に求めた。わかったようなふりをすれば、救いを遠ざける。人に言われるのが嫌で自力で正解を見つけ出そうとするのも、救いを遠ざける。すなおに正直に、「教えてください」と求める態度が正しい。(36)
- 明確な決心
- 元盲人は、「主よ、信じます」と告白し、イエスを礼拝した。(38)
- 彼はすなおに「教えてください」と求めたので、すなおに信じることができた。
- 神の前では強がってはいけない。自分の弱さ足りなさを正直に認め、求め、受け入れよう。
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