2025年9月7日 主日礼拝

エペソ6:18-20

國分 広士 牧師

1.強められる

  • 「祈りなさい」という18節の勧めは、10節からの「強められなさい」という勧めに続いている。順序を重んじて読めば、まず強められてから祈るという順になる。そして、その順ほうが、意味としても正しくとらえられると思える。
  • 「強められる」ことが必要な理由は、「悪魔の策略」「暗闇の世界の支配者たち」「天上にいるもろもろの悪霊」といった、霊的な戦いがあるから。
  • 霊的な戦いのために強められるためには「神の武具」が必要。人間的に自己を強くしても、人間には有効だが悪魔には通用しない。
  • 「神の武具」とは、[真理の帯:正しい考えを持つ]。[正義の胸当て:正しい行い] 。[平和の福音の備え:神との平和をもたらす福音の教え]。[信仰の盾:いざというときに逃げ込める、論理を超えた強い信仰]。[救いのかぶと:主イエスを信じて救われているという確信]。[御霊の剣:神のことばである聖書]。
  • これらの武具は、決して特殊な何かではなく、キリスト者として誰もが持つべき、あるべき信仰の姿勢を表している。あるべき状態にないなら弱いのだ。

2.あらゆる祈りと願い

  • 18節の祈りの要請には、強調表現がついている。「あらゆる祈りと願い」は、さまざまな祈祷課題の全てということ。教会にも祈りきれないと思えるほどの祈祷課題が届く。世の出来事を見ると、「祈らなければ」と思わせる事柄も数多い。その中から厳選してどれかを祈れという教えではなく、「あらゆる」と言っている。
  • 「どんなときにも」も強調表現。これは主イエスも教えた。(ルカ18:1)しかし現実には「祈りない」「祈りたくない」と思うこともあるだろう。しかしパウロは「気が向いたら祈って」と言っているのではない。
  • 「すべての聖徒のために」も強調表現。世界には何億人もクリスチャンがいる。そのうちの誰かのためだけではなく、「すべて」である。
  • 「忍耐の限りを尽くして」も強調表現。しばらく祈ってもかなわないなら、切り替えることが多いのではないか。しかし、あきらめずに祈り続けるよう命じられている。
  • ここまで強調されるのは、霊的戦いの現場にいるから。祈りは、その戦いの実践なのである。だから、まず霊的に強められ、実践として祈るのである。

3.私のためにも

  • パウロは率直に、自分のために祈ることを求める。
  • 私たちは率直に自分の祈祷課題を他の人々に訴えて祈ってもらっているだろうか?他に祈祷課題がたくさんあるから、自分の課題まで出すのは遠慮しようなどど思ってはいないだろうか?そうした遠慮は、信仰の戦いにおいてはマイナスに作用する。
  • パウロは牢獄にいながら、牢から解放されるようにではなく、牢獄という場においても、主の使節として働けるように願い、その実現のために祈りを要請している。主のための霊的な戦いに現場にいるとパウロは自覚していたのだ。
  • 社会的視点で考えれば、パウロは自由を奪われた気の毒な人ということ。社会的に抹殺され、意味ある生き方ができないあわれな人。しかし霊的には、牢獄でも祈りは妨げられることはないから、彼は霊的戦いの最前線で奮闘していたのである。そして数少ない発言の機会が有効に用いられるように祈りの支援を求めたのだ。
  • 私たちも、自分は「祈り」という大切な使命を果たす、意義ある人生を送っていると考えよう。この使命は命の続く限り終わらない。