2025年3月9日 主日礼拝

ヨシュア記10章40〜42節

國分広士牧師

「勝利」という結論にだけ注目すると、このテキストを自分にあてはめて考えることができなくなる。勝利に至る過程の中で何があり、その渦中にいた人々がどう歩んだのかを知る事で、自分がそこにいたらどうするかと考えることができる。状況が生き生きと感じられるように、味わって読もう。

1.9章までの出来事は、ゆったりとした時の流れだった

 ・エリコに斥候→エリコの攻略→アイでの敗北→アイに勝利→ギブオンの降伏
 ・色々な出来事はあったが、一つ一つ別々の出来事であった。

2.10章はめまぐるしい

  • ギブオンからの救助要請→5人の王の連合軍への勝利
  • ギブオンは謙虚にイスラエルに助けを求めた。この謙虚さを学ぼう。
  • この時、主の励ましのことばと、主の奇跡による応援があった。
  • 主の偉大さを心に刻もう。
  • 主がヨシュアを励ましたようにヨシュアは民を励ました。(10:25)
  • 主のことばを自分の心だけにとどめず、人々に伝えたということ。
  • 真に人を励ます「みことば」を伝えるために、私たちの口も使おう。
  • マケダに進軍し勝利→リブナに進軍し勝利→ラキシュに進軍し勝利→攻めてきたゲゼルの王ホラムに勝利→エグロンに勝利→ヘブロンに進軍し勝利→デビルに進軍し勝利
  • 途中でやめてもおかしくないが、一気に体勢を固めることができたことは大きかった。  
  • ヨシュアは主がともにいてイスラエルに勝利を得させてくださると信じて戦いを続けた。
  •  「みこころ」を正しくわきまえたい。

3.「なりゆき」ではなく「主の導き」

  • 42節「これらすべての王たちと彼らの地を、ヨシュアは一度に攻め取った。
  • イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。」
  • ヨシュアとて、最初から計算していたのではない。なりゆきでこうなったという感想も生まれやすいが、実は私たちが知らないだけで、主は勝利を計画されていた。
  • 主がみわざをなさる時には、無理と思えることも実現する。
  • 滅びる民の中に救われる人々がいたことも見落としてはならない。ラハブやギブオンは救われた。滅びと救いは隣あわせ。危機的状況は、ある人々に救いが近づいている時なのだ。大切なのは主のみこころかどうか。

10章でカナンの地の状況は一変した。主が事を行われたからだ。主のみこころに従って                                                                                                                              いる者は、勝利の列に加わる。