2025年1月19日 主日礼拝

ヨシュア記3:10-17

國分広士牧師

人生の歩みには様々な困難がある。目の前のヨルダン川をどう超えるのか?超えても、カナンの地でどう歩めばいいのか?非常な困難が予想される。ヨシュアたちはどう困難を乗り越えていったのか、聖書の事例をよく知り、学びとろう。

1.ヨルダン川の水が堰き止められる奇跡

  • イスラエルの民はヨルダン川を渡ってカナンの地に入る。通常、川を渡るには、浅い箇所を選んで水の中を進む。2:7には「渡し場」という言葉がある。守備側からすれば、渡し場で待ち伏せしていれば、川を渡って攻め込む敵を撃退しやすい。
  • しかし、神はこの時、川の水を堰き止めたので、民は皆、安全に渡ることができた。
  • この奇跡は出エジプトの時の奇跡を思い起こさせる。あの時奇跡を起こした神が、今も生きてともにおられることを実感する経験だった。

2.神のみわざが行われるために用いられた人々

  • 神はご自分のみわざを行うにあたり、よく色々な人を用いられる。自分も神に用いられるように、誰がどのように用いられたのかを、注意深く観察しよう。
  • 契約の箱を担ぐ祭司たちが一番先にヨルダン川に入った。15節には「祭司たちの足が水際の水に浸ると、川上から流れ下る水が立ち止まった。」と書かれている。
  • ということは、祭司たちが川に入るまでは普通に川は水が流れていた。その川に契約の箱を担いで入る祭司たちは、怖くなかっただろうか?大切な契約の箱を川の水で濡らしてしまうかもしれないし、うっかりバランスを崩せば、契約の箱を流出したり、自分たちもいのちを落とす危険性があると心配するのが、普通の神経ではないだろうか。
  • 祭司たちがヨシュアの命令に従って、ヨルダン川に入ったのを、他人事のように当たり前のことと見るなら、彼らの模範から学ぶものは何もない。彼らの立場に身をおいて、自分だったらどうしただろうかと考えれば、「よくできたものだ」とリスペクトもするし、「きっと祈りながら歩んだのだろう」と信仰の模範者と見ることもできる。

3.神が奇跡を行われた目的

  • 神がこの奇跡を行われた目的を、10節から二つあげることができる。
  • ①生ける神があなたがたの中にいることを、主の民が知るため。
  • ②神が主の民を用いて、カナンの地の先住民を追い払われることを、主の民が知るため。
  • 神の奇跡は偶然ではない。神のご目的が果たされるために、必要な時に必要な事が起きるのが神の奇跡。神は「わたしがついているよ」と、示してくださるのだ。
  • しかし、同じ事実を見て神を信じるのか、あくまでラッキーだったと思うのかは、その人自身の解釈。神は信じることを期待しておられるが、同時に人には自由意志を与えておられるので、信じるかどうかは自分自身で決断しなくてはならない。
  • すでに起きた出来事を神による助けだと信じるなら、今後も神の導きを期待できる。自分の力では実現不可能と思われる事柄も、神の導きなら達成される。そうした信仰を持つかどうかは、将来への希望を持てるかどうかを左右する。 

「生ける神が自分たちの中にいる」と信じる者は、心強い。どんな困難に直面しても、希望を失うことはない。死んでも生きるのだから。
    イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。
    わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)