2024年8月25日 主日礼拝
序
「霊」について関心を持つ人が多い。聖書には霊に関する記事はたくさんあり、色々なことを学ぶことができが、あくまで周辺的な出来事であり、中心的な内容ではない。また、霊にこだわると情緒が不安定になりやすいという現実問題もある。今日の主題は霊では無く、「不信仰な私」と、助けてくださるイエス様について学ぶ。
1.不信仰な時代(19節)
- イエス様は誰の不信仰を嘆いたのか? ①霊に取り憑かれた子なのか? ②その子の父親なのか? ③霊を追い出せなかった弟子たちなのか? ④その子を助けるのでは無く、弟子たちと議論する律法学者なのか? ⑤取り囲み騒ぐ群衆なのか?
- 「不信仰な時代」という言い方は、個人の問題より、全体的な問題をイメージさせる。イエス様が信仰を褒めた人は、「ただ、おことばを下さい」と願った百人隊長(マタイ8:8−10)と、「小犬でも」とへりくだって願ったカナン人の女(マタイ15:27-28)ぐらい。心を見抜くイエス様から見れば、みんな不信仰。
- 心が父なる神とつながっているイエス様にとって、不信仰は最も深刻な問題。皆を救うために、いつも我慢しておられたのだ。
2.「おできになるなら」(22節)という不信仰
- 一刻も早く子を楽にしてあげようと急ぐなら父親との会話は不要。しかし主イエスはまず父と会話する。主イエスは子だけに関心を持つのではなく、父親を救おうとされていた。
- 心に余裕がない時だからこそ、この父親は「おできになるなら」と失言する。心の本音が出てしまったのだ。そのことばをとらえて、イエス様は本当に信じるのかと問われた。
- 本音を出させるためにわざと心理的に追い込み、決断を迫るのはマインドコントロールのよく用いる手法。以前はキリスト教会ではイエス様を信じる決断を迫る「招き」を盛んにしたが、マインドコントロールと疑われることを避けてあまりしなくなった。しかしイエス様の行われたことはマインドコントロールのような心理操作のテクニックではない。
- マインドコントロールとは心理操作のテクニック。特定の手法によって、人の心を操ることが問題。イエス様は操ったのでは無く、信じるように励ましたのである。
3.自分の弱さを認めて素直に求める(23-24節)
- 父親は自分の弱さを認め、「不信仰な私」と言った。
- その上で、「信じます」とも言った。一見矛盾する。しかしそれが現実の姿。
- 矛盾するからこそ「お助けください」と素直に求めた。それしかなかった。そして、その心の姿勢をイエス様は受け止めてくださった。
- 私たちもこの父親のように自分の弱さを認めて素直に求めよう。
結
「祈りによらなければ」(29節)と主イエスは弟子たちを諭した。霊に関しても、問題の本質は神様と心がつながっているかどうかだったのだ。へりくだって祈る者になりたい。