2024年8月18日 主日礼拝
序
人は自分の力を超えた苦しみ(災害、戦争、病気、暴力、偽りなど)を経験する時に、神の助けを期待する。心のどこかで、神は助けてくれるはずと期待している。しかし、なぜ神は助けるのか?主が人を救う理由は何なのだろうか?それが示されているのが今日のみことば。
1.神との間の仕切り
- 主は危機状態にあることに気がついているし、助ける力もある。
- 「主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。」(1節)
- しかし罪が神と自分の間の仕切りになっている
- 「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
- あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(2節)
- 私たちは他者の罪深さを断罪するが、このみことば私たちの罪深さは神が御顔を隠すほどと教える。そうなのか?自分の罪深さを認められないと、このみことばから学ぶことはできない。
- 私たちの罪は深刻。「手は血で、指は咎で汚れている。」そこまでなのか?
- →肉眼で見えない汚れを機械で測定すると、実は汚れている。人は自分を尺度として物事を考えるので、自分は普通だと思いやすい。しかし、神が客観的に私たちを見ると「汚れている」。
- ことばの汚れ: あなたがたの唇は偽りを語り、舌は不正を告げる。(3節)
- 私たちは「この部分なら話題にしても自分が責められない」と判断したことを話題にする。器用にごまかせない場合は沈黙する。「黙秘権」という権利が認められるほど。しかし自分で作り上げた虚像を演じ続けなくてはならない。「虚しいことに頼り」、偽りを前提としているので、「邪悪をはらみ、不正を産む」すなわち自分で問題を生み出してしまう。
- 自分を義とするので、自分に危害を加える存在は悪であると思い、徹底的に反撃する。イスラエルは千人以上殺され数百人が捕虜にされたため、ガザ地域のパレスチナ人を4万人殺した。そのほとんどは非戦闘員。「咎なき者の血を流すのに速い。」このような問題に対して、私たちは解決策を持っていない。「彼らは、平和の道を知らず」。
- 他人事ではない。日本も北朝鮮との和解の道を知らない。圧力をかけるが相手は反撃するだけ。かつて日本も原爆が落とされソ連が攻めてくるまで降伏できなかったのに、圧力で屈させようとするのは愚か。かといって太陽政策をした韓国も利用された。
- 個人的な問題でも、人は人間関係で悩む。あの人の顔を見たくないと思い、解決策を知らない。深刻なのは家族や親族や隣人など、仲良くする以外の選択肢はない人とうまくいかない場合。神の目から見れば人間はみな家族。みんなアダムの子孫で親戚同士。そのお互いを大切にできないのは、自分自身を痛めつけているようなもの。だから神は見ちゃいられなくて御顔を隠される。
2.問題は理解できても解決できない
- 自分の罪の問題に気が付いた人は解決しようともがくが、自分では解決できない。
- 「私たちは見えない人のように壁を手さぐりし、目が無いかのように手さぐりする。」(10節)
- 罪人は反省しても純粋な心になれないので、偽りから離れられない。泥水で手を洗うようなもの。
- 「まことに、私たちの背きは私たちとともにあり、私たちは自分の咎をよく知っている。」(12節)
- →人には助けが必要。とりなしてくれる存在が必要。
3.主は心を痛められた
- 「主は人がいないのを見て、とりなす者がいないことに啞然とされた。」(16節)
- 唖然とされた主は、問題の解決のためにご自分の腕を振るうことにした。救う動機は、あわれみ。
- 「それで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を支えとされた。」(16節B)
- 「シオン(エルサレム)には贖い主として来る。」(20節)→主イエスは人の身代わりに罪の罰を受けるため、エルサレムで十字架にかかり、罪を贖われる。
結
主は誰を救うのか?
「ヤコブの中の、背きから立ち返る者のところに。」(20節)
あわれんで救ってくださることを信じ、罪を告白して悔い改めよう。