2024年7月28日 主日礼拝

使徒16:16-19、22-33節

油井義昭牧師

 ギリシャ語で人間をアンスローポス(上を向いて立っている者)と言います。人間は希望によって生きる存在です。人間は生物学的生命(ビオス)と霊的生命(ゾーエー)の複合体です。生物学的生命は常に衰え、朽ちていく傾向を持ち、絶えず空気、水、食物を補給する必要があります。霊的生命は、人間が創造された時に与えられましたが、罪によって失ったもので、神とキリストに属している超自然の生命で、信仰者が今、持っているものです。イエス・キリストは、霊的生命を「永遠のいのち」と言いました。この世ばかりか肉体の生命の死後、永遠に朽ちない、永続する生命です。私たちの人生設計、私たちの希望は、どちらの生命に重点を置いたものでしょうか。

Ⅰ 人生の基盤が揺るがされる時

 使徒の働き16章16節から24節には次の人生の基盤が揺るがされる時にパウロとシラスは遭遇した、と伝えています。パウロはある日、彼の後をうるさくついて回る、占いの霊に憑(つ)かれた女奴隷から、その霊を追い出しました。ところが、彼女に占いをさせて利益を上げていた人たちは、商売ができなくなり、パウロ達を、町を掻き乱す不届きなユダヤ人だ、ということで訴えました。パウロとシラスはほとんど裁判にもかけられず、鞭で打たれ、土と石で固めた牢に繋がれてしまったのです。

Ⅱ パウロとシラスの行動

 パウロとシラスは絶望状態に置かれました。こういう時、普通は、自己憐憫に陥ります。クリスチャンの持っている希望が揺さぶられます。失望と落胆と暗黒の中にいる時、人間の必要とするのは、ビジョンです。
 この複雑な災難、苦難が信仰者にも与えられたからと言って、神が愛のない無情な方であると言う証拠にはなりません。真夜中、この苦難を越えてパウロとシラスは勝利のうちに立ち上がりました。最初は小さな声で祈りが始まり、キリストの御名のために苦しむにふさわしくされたことを喜び、神を賛美する歌を歌い始めました。

Ⅲ 神の現実に生きる者の輝き

 26節、「すると突然、大きな地震が起こり、」牢獄の扉が全部開いて、囚人の鎖が外れました。看守は、囚人が逃げたと思い、責任を感じて、自殺を図りますが、パウロは自殺を押し止めました。パウロは大声で「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫びました。これを機に、看守と家族が、主イエスを信じるようになりました。第一、苦難の時「人生の基盤を何で作っているか」が問われます。第二に、自分の手に入れたものが目の前で失われた時、自分の苦労は意味があるものだったのか、と言う疑問を持ちます。第三に、すべてのものを失った時、自分の価値を見失い、生きる元気がなくなります。
 なぜ、私たちは救われなければならないのでしょう。第一に、私たちの魂のゆえにです。霊魂は神の霊によって変えられ、救われる以外に他の方法はないのです。第二の答えは、「私たちの魂の運命のゆえに」です。いつの日か私たちの肉体は死に、墓に葬られます。霊魂は肉体から分離します。その結果、霊魂は神と共に永遠に天国に住むか、悪魔と共に地獄に住むかです。
 次に、私たちは救われるために、何をすべきでしょうか。パウロは31節、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」と言いました。救いに不可欠な三つの条件があります。第一は、罪の悔い改めです。第二に、キリストを信じることです。主イエスの十字架の死と復活を受け入れることです。第三に、信仰を告白する事です(ローマ10:9)。

結び

 神は世界の創造の頂点として、人間を創造しました。聖書はまた人間に愛の神を示します。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)。この神に出会うことによって、生きる意味、目的、希望が与えられます(Ⅱコリント4:16)。