2023年12月10日 主日礼拝

マタイ1:1−16
國分広士牧師

1.アブラハムの子、ダビデ

  • アブラハムは創世記12章から登場し、「信仰の父」と呼ばれる。創世記12:1−3に記されたの主の約束は、アブラハムに与えられれ、その子に受け継がれた。その約束の最も重要な点は、「地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」すなわち、救いの約束。アブラハム自身は神の計画を実現できない。
  • アブラハムには二人の子(イサクとイシュマエル)がいて、主の約束はイサクに受け継がれた。イサクにも二人の息子がいて、約束はヤコブに受け継がれた。そうやって、神の約束を真に受け継いだのは誰なのかを系図が示す。系図をふりかえると、歴史を導く神の偉大さがわかる。
  • アブラハムの約束はダビデに受け継がれ、ダビデは王となり、主の救いの約束は一面において成就したかに見える。しかし系図ではまだ三分の一にすぎない。

2.ダビデの子、イエス

  • アブラハムからダビデまでは、色々問題はありつつも、だんだんと完成方向に進展していることを感じる。しかし、ダビデ以降バビロン補囚までは、停滞と衰退と滅びの時期。さらにバビロン捕囚からキリストまでは目立った出来事の乏しい暗黒期。キリストの到来までは主の救いの約束は消え去ったのかと思われた。
  • だが、何もなかったように見える時代にも、主の約束は受け継がれ、成就へと進展していたことを系図は示す。名前しか記されていない人物にも、その人の人生があった。系図の背後には、妻などの、名前も記されていない人々がたくさんいる。その人々にもその人の人生があった。主はそうしたたくさんの人々を用いて救いの計画を実現された。
  • 用いられた人々には、自分が神に用いられたと言う意識はなかっただろう。主は気がつかないところで事を行われることを理解しよう。意識していないところで、主は私たちをも導いておられる。

3.マリアの夫ヨセフ

  • マリアは処女のままイエス様をみごもったので、ヨセフは、血のつながりという点では、イエス様の父ではない。しかし彼は自分の子ではない子をみごもったマリアを妻として迎え入れ、生まれた子を我が子として育てた。血縁は真に大切なものではない。「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。」(マタイ3:9)
  • 真に大切なのは、主に愛され、主に用いられること。自分がどう役立っていたかは、天国に行くまではわからない。すべてを知ることはできないのだから、自分が納得することにこだわりすぎてはいけない。主に委ねよう。
  • 系図の人物のほとんどは目立たない存在であった。系図背後の名もなき人々はさらに目立たない。しかし、目立たない存在でも、主を信じ主に従った人々が、どの時代においても確かにいて、用いられたはず。目立つかどうかよりも主のお役にたつかどうかが大切。自分の人生が主に用いられるように、主を信じ、主に委ねよう。