2023年8月13日 主日礼拝

イザヤ書 20章2~4節
國分広士牧師

  1. イザヤ18章はクシュに対しての預言、19章はエジプトに対しての預言だった。神はクシュにもエジプトにも、彼らが悔い改めるなら、赦し、救ってくださると語った。特に、19章の最後では、「わたしの民エジプト」と呼ばれた。
    しかし、クシュもエジプトも悔い改めない。20章では、この二つの国に対するさばきが宣告される。
  2. 1節の「アシュドテ」とはペリシテの町のひとつ。アッシリヤの王サルゴンがアシュドテを取った年は前711年。そのとき、主はイザヤに「あなたの腰の粗布を解き、あなたの足の履物を脱げ」つまり、裸になれと命じた。それは神からのメッセージを人々に強く印象づけるための「象徴的行動」。預言者はしばしば「象徴的行動」をさせられた。
    ・預言者エゼキエルは390日間左脇を下にして横になり、次に40日間右脇を下にして横になった。(エゼキエル4章)イスラエルの罪の1年を一日として、ずっと神に罪を犯していることを示した。エレミヤも亜麻布の帯を買い、それをユーフラテス川のほとりに行って隠した。しばらくすると、その帯は腐っていた。その帯のように、イスラエルは腐ってしまうことを表した。(エレミヤ13章)
  3. イザヤの「象徴的行動」は、どういうことだったのか。3節「イザヤが、エジプトとクシュに対するしるし、また前兆として、三年間裸になり、裸足で歩いた」とある。なんの前兆か?「アッシリアの王はエジプトの捕虜とクシュの捕囚の民を、若い者も年寄りも裸にして、裸足のまま、尻をあらわにして、エジプトの恥をさらしたまま連れて行く。」すなわち、クシュとエジプトはアッシリヤとの戦いに敗れ、裸にされ、はだしで、連れて行かれるということ。
  4. アシュドデはユダから見ればすぐ隣の都市国家。それがアッシリアに滅ぼされたなら、次は自分たちということは誰もが思う。しかし、危機的状況では、人々の心が乱れ、誤った選択をすることも多い。残念ながらこの時、エジプトやクシュに頼ろうとする人々も多かった。クシュとエジプトの人々が恥ずかしい姿で連れ去られる姿を見る時、人々は「我々の拠り所がこの始末だ。われわれはどうして助かることができるだろうか」と嘆くことになる。
  5. イザヤは主が言われたようにした。このあと滅ぼされる人々への警告となるように、恥ずかしくても主に従った。私たちは主の言われたように従っているだろうか。