2023年6月11日 主日礼拝
序
「おごる者ひさしからず」という有名な平家物語のことばがある。「平家にあらずば人にあらず」と言うほど権勢を極めた平家が、平清盛没後、数年で滅んだ事実は、日本人にとって今も大きな教訓として語り継がれている。イザヤ書の語るアッシリヤの滅亡の預言も、権力者の衰勢という点では共通だが、私たちが聖書から学ぶべきことは、歴史的出来事の背後に示されている神のお考えである。
1.「わたしの怒りのむち」
- 新改訳聖書は、人間が主語の場合は漢字で「私」と書き、主が主語の場合は平仮名で「わたし」と訳出している。「わたしの怒りのむち」とは、神の怒りを世に表すための道具という意味になる。アッシリヤ帝国は、神が地上に満ちる悪を罰するために、神から力を与えられ、それを用いて国々を滅ぼした。
2.アッシリヤの高ぶり
- アッシリヤは、勝利は自分の力、自分の知恵によると思い高ぶった。(13)
- 9節にはアッシリヤが滅ぼした地名が列挙される。カルノはアラムの北にある町で前738年に滅ぼされた。カルケミシュは前717年に陥落した。ハマテは前720年、アルパデは前740年、サマリヤは前722年、ダマスコは732年に落ちた。
- 滅ぼされた国は偶像の守護神を持っていたが、アッシリヤの攻撃から守れなかった。主の神殿のあるエルサレムも同じことだとアッシリヤは思っている。
3.神は高ぶる者を罰する
- 道具に過ぎない「斧」や「のこぎり」や「むち」や「杖」は、それを用いる人によって仕事をする。決して道具自身の業績ではない。にもかかわらず、高ぶる者は「自分の力・知恵でやった」と思う。
- 神は道具が必要な間、それを用いるが、用が済めばしまう。あるいはその道具自体が悪くなるなら、他のものと取り替える。
- アッシリヤはこののち衰退し、次はバビロンが覇権を握る。そのバビロンも世界帝国になり高ぶった後に滅びる。
- それで主はご自分の民に「アッシリヤを恐るな」と言われる。もう少しで彼らを滅ぼすからと。(24-25)
4.残りの者
- 20-22節も重要。そこには「残りの者」のことが記されている。
- 多くのイスラエル人が滅ぼされるが、わずかに残されるものがいる。彼らは、「力ある神に立ち返る。」(21)
- 私たちにとって重要なのは、自分が残りの者なのかどうかである。
- ノアの洪水の時には、ノアの家族の8人だけが残され、他の人類は死に絶えた。主は滅ぼすが、滅ぼし尽くさず、残してくださる者もいる。主に立ち返り、罪を告白し、赦していただき、残りの者にしていただこう。