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2023年3月5日 主日礼拝
1.主に「いつまでですか」と訴える(46)
- 私たちは苦しい現実の中にいる。
- 詩篇89篇は最初に「主の恵みはとこしえ」とたたえ、自分も「主の真実をとこしえに歌います」と告白している。(1-2節)
- さらに、実際に主が行われた偉大なみわざを思い起こし、特にダビデの王権を堅くたてられたことを思い起こす。(3-37節)
- ところが、ダビデと同じように主に忠実な後継者は少なく、イスラエルは衰退し、詩篇作者の時代(おそらくバビロン捕囚が始まった頃)にはダビデ王朝も崩壊寸前だった。
- その苦境の中で、主に向かって「いつまでですか」と叫んでいる。なぜ、あきらめずに主に求め続けるのか?
2.自分がはかない存在であることをわきまえる(47)
- 人の一生は短い。問題の解決をいつまでも待つことはできない。
・主ご自身が人を土から造られた。人が主に背いた時、主は「あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ」と宣告された。(創3:19)
- しかし主は直ちに滅ぼすのではなく、それぞれに自分の人生の時をお与えになったので、主に叫ぶ機会は与えられている。はかない存在なのだからこそ、今、主に叫ぼう。
3.自分では自分を救えないことを認め助けを求める(48)
- 「いつまで」ということは、苦しみには終わりがあると思うから。
- しかしその救いは自分自身の手によってもたらされることはない。人間ははかなく罪深いから、人間は人間を救えない。苦境の中で互いにゆずりあい励まし合うことはできるが、それは救いとは別次元。
- ならば誰が救ってくださるのか?ローマ7:24-25でパウロは「だれが救い出してくれる?」と問い「主イエス・キリストを通して」神に感謝する。
- 自分では自分を救えないことをわきまえている人は、救い主イエスを与えてくださった神に頼る。どんな苦境が続いても、他には救いはない。「いつまでですか」と主に訴えよう。
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