※メッセージ冒頭50秒程度音声が切れています。申し訳ありません。

2023年1月29日 主日礼拝

ローマ人への手紙 3章23~24節
國分広士牧師

1.みんな罪人

  • 聖書は「すべての人」が罪を犯していると責める。確かに世には罪があふれている。犯罪も多発。侵略戦争や拉致のような国家による犯罪も行われている。
  • 自分は被害者だと思いやすい。だが聖書は「すべての人」が罪を犯していると責めるのだから、自分も罪人だということ。神は性質が「悪い人」だけを裁くのではなく、性質が「良い人」でも罪を犯せば裁く。他人に知られないように密かに犯した罪も全てご存知であり、全てを裁かれる。
  • 私たちは他の人と同じようにしていれば良いと思いやすい。しかし、皆が罪を犯しているので、他の人を真似ることで、かえって罪深くなってしまっている。
  • 「神の栄光」を与えるのは、造り主である神。他の人間との比較で自分を測っても神の前には無意味。基準を神のことばに置けば、みんな罪人。

2.神は罪人にも恵み深い

  • 神が厳しいだけのお方なら私たちは断罪され滅ぼされる。しかし、神は恵み深い。善悪の知識の木の実を食べたアダムとエバは、死刑が当然なのに追放刑にしてもらった。追放前には裸の恥をおおう皮の衣もくださった。(創3章)弟を殺したカインも死刑が当然なのに追放刑でゆるされ、さらに復讐からは守ると神は約束した。(創4章)
  • 神は罪は裁く。やがて罪に満ちた世を裁き、大洪水を起こした。その時にも、ノアの家族と動物たちを方舟で救い、裁きと救いの両方を行われた。(創6-9章)
  • 私たちは聖さと愛の両立が難しく、一方に傾きやすい。しかし、神はどこまでも正しく、どこまでも恵み深い。この神のことは聖書によってしかわからない。

3.「キリストの贖い」によって、価なしに義と認められる

  • 神の愛が最も顕されたのが十字架。神であるキリストが私たちの身代わりになって裁きを受けてくださった。
  • 私たちは自分の罪を自分で贖うことはできない。罪の代償は裁きしかなく、いのちでなければ償えないのだから。キリストの贖い以外には、救いの道はない。主イエスは「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」(マタイ26:42)と祈られた。
  • 私たちはキリストを信じることによって、義と認められる。これは性質が良くなるかどうかという事柄とは別の話。性質も重要だが、性質が良い人も悪い人もみんな罪を犯しているので裁かれる。その裁きをキリストが身代わりに受けてくださったので赦されるということ。
  • 「価なし」というのが大切。価は神ご自身が払われた。私たちはただ感謝して。救いを受け取れば良い。