2022年12月4日 主日礼拝

ルカの福音書 23章44~48節
國分広士牧師

1.真昼に太陽が光を失った

  • 主イエスが十字架で苦しんでいる最中、真昼だったのに太陽が光を失い全地が暗くなった。翌日からの過越の祭りは満月の時期なので、日食ではない。
  • マタイ、マルコでは、この時に主イエスが「わが神どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれている。闇は、父が御子を見捨てたことを象徴的に表している。御子は造り主(ヨハネ1:3)。いのちの造り主が死ぬという究極的な状況を示している。読者はただ事ではないと悟らなければならない。

2.神殿の幕が真ん中から裂けた

  • 神殿には祭司しか入れない聖所があり、その奥には至聖所がある。聖所と至聖所の間には仕切りの幕があり、誰も入れない。大祭司のみが年に一度入って香を焚く。至聖所は神に最も近い所という意味で、罪ある人間は聖い神の前には出られないことを示す。そこに入る大祭司は神と人との間に立つ仲介者を象徴する。
  • この幕が真ん中なら裂けた。人の手によってではない。神ご自身が割いた。もはや神に近づくことを遮る幕はいらないということ。
  • なぜか?マタイマルコでは主イエスが息を引き取った記述の後で幕が裂けたことが記されている。主イエスの死で罪が贖われたことが理解しやすい記述順序になっている。
  • ルカの記述は太陽が光を失ったことに続く記述順序。父が御子を犠牲にしたから罪が贖われたことが理解しやすい記述順序。

3.主イエスは父に委ねた

  • 主イエスは父に、ご自分の霊をゆだねた。
  • 主イエスは、ご自分の死の意味を知っておられた。自ら選び取った道でもあった。論理的には父に委ねるのは当然と言える。それでも、堪えがたい苦しみに直面した時、人はポーズをとることができなくなり、本性をむき出しにする。「苦しい、助けて」としか言えなくなる。
  • 主イエスはどこまでも父を信頼していたから、自分を見捨てて十字架にかけた父に、霊をゆだねた。
  • 主イエスの処刑人であった百人隊長は、主イエスの死に際に感動し、「本当にこの方は正しい人であった」と言った。彼は主イエスの着物をくじにしようと呼びかけた張本人であったかもしれない。しかし、彼は全地が暗くなるという超自然的現象を経験して、ただごとではないと感じ取った。そして死に至るまでの十字架上の主イエスの姿を見て、ただ者ではないことを悟ったのだ。
  • では私たちはどうするのか。主イエスを単に過去の人と見るのか?本当に救い主であったと信じるのか?信じたい者は、主イエスの模範に倣い、自分の霊を、すなわち自分自身のすべてを、父に委ねよう。